梅雨に参拝した城南宮の摂社と末社・2017年
6月中旬に京都市伏見区の鳥羽に建つ城南宮に参拝しました。 城南宮には何度か参拝しているのですが、梅雨の時期に訪れるのは今回が初めてです。 国道1号線の近くにある神社なのですが、境内が静かなんですよね。
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6月中旬に京都市伏見区の鳥羽に建つ城南宮に参拝しました。 城南宮には何度か参拝しているのですが、梅雨の時期に訪れるのは今回が初めてです。 国道1号線の近くにある神社なのですが、境内が静かなんですよね。
6月中旬に京都市伏見区の鳥羽に建つ安楽壽院に参拝した後、近くの北向山不動院にも立ち寄りました。 北向山不動院は、その名のとおり本堂が北向きに建っている寺院です。 安楽壽院からは西に2分ほど歩けば、北向山不動院に到着しますから、安楽壽院に訪れた時は一緒に北向山不動院にも参拝しておきましょう。
6月中旬に京都市伏見区の鳥羽に建つ安楽壽院(あんらくじゅいん)に参拝しました。 今では、安楽壽院を知る人は少ないですが、当院が建つ地は平安時代後期に鳥羽離宮があった場所です。 当時は、都が鳥羽に遷ったかのような賑わいだったそうですよ。
京都市伏見区の鳥羽に建つ城南宮は、平安時代後期に院政の舞台となった鳥羽離宮があった地です。 鳥羽離宮は、白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇といった歴代の上皇と深いかかわりがあります。 これらの上皇は、熊野詣が大好きで、4人の上皇を合わせると90回ほど熊野に参詣しています。 そして、これら上皇の熊野御幸の出立の地となったのが、現在、城南宮が建つ鳥羽だったのです。
京都には、多くの天皇陵があります。 その中でも、伏見区の鳥羽にある天皇陵ほど歴史的に興味がわく天皇陵はないでしょう。 地下鉄竹田駅の南東にある白河天皇成菩提院陵(しらかわてんのうじょうぼだいいんのみささぎ)、鳥羽天皇安楽壽院陵(とばてんのうあんらくじゅいんのみささぎ)、近衛天皇安楽壽院南陵(このえてんのうあんらくじゅいんのみなみのみささぎ)は、平安時代後期の院政時代の天皇が埋葬されています。 まさに院政が行われた鳥羽の地にふさわしい天皇陵と言えます。
4月末に京都市伏見区の鳥羽に建つ北向山不動院と安楽壽院に参拝してきました。 鳥羽は、あまり観光で訪れる人がいないため、このあたりのお寺や神社は、いつお参りしても、人があまりいません。 なので、落ち着いてゆっくりと参拝できるんですよね。
4月29日に京都市伏見の城南宮に曲水の宴(うたげ)を見に行った際、神苑も散策しました。 普段は拝観料が600円なのですが、この日は無料で神苑が解放されます。 城南宮の神苑は、源氏物語に登場する植物などが100種以上も植栽されており、初夏になると、様々な花を楽しむことができます。
毎年4月29日は、京都市伏見区の城南宮で曲水の宴(うたげ)が催されます。 曲水の宴は、平安時代の貴族たちが楽しんだ行事で、後に桃の節句へと発展していきました。 その行事が今も城南宮で毎年行われており、無料で観覧できます。 ということで、4月29日に城南宮に曲水の宴を見に行ってきました。
京都市のお花見スポットで忘れがちなのが伏見区です。 東山や嵐山と比較すると、確かに伏見区は桜の名所がそれほど多くはありません。 でも、まったくないわけではありません。 京都駅から比較的近い桜の散策コースは、藤森神社(ふじのもりじんじゃ)、墨染寺(ぼくせんじ)、城南宮の3ヶ所ですね。
元弘元年(1331年)9月に鎌倉幕府打倒のために笠置山にたてこもった後醍醐天皇でしたが、9月末に落城して捕えられた後、10月に六波羅に移されて監禁されました。 そして、三種の神器も後醍醐天皇から対立する持明院統の量仁親王(かずひとしんのう)へと授けられ、天皇は、鎌倉幕府の処分の決定を待つ身となります。 また、後醍醐天皇の笠置籠城と時を同じくして、河内の赤坂城で幕府軍と戦っていた楠木正成も持ちこたえることができずに落城し、戦死したという噂が広まります。 これにより後醍醐天皇の討幕計画は、正中の変に続き、再び失敗となりました。