平安時代一覧

中央卸売市場第一市場は西鴻臚館跡地にある

京都市下京区に中央卸売市場第一市場があります。 中央卸売市場第一市場は、野菜、果物、生鮮水産物、加工水産物といった生鮮食料品などを扱う市場です。 日本国内はもちろんのこと海外からの生鮮食料品も扱っている公設の市場で、適正な価格付けをして京都市民の台所に速やかに送る役割を果たしています。 この中央卸売市場第一市場が建つ地は、平安時代には西鴻臚館(にしこうろかん)がありました。

誠心院の和泉式部と一遍上人の物語

京都市中京区の新京極通に誠心院というお寺が建っています。 初代住職となったのは、平安時代の女流歌人である和泉式部です。 歌人が住職になったお寺は珍しいですね。 ところで和泉式部は、どうして誠心院の初代住職となったのでしょうか。

今は団地が建つ尊勝寺跡

京都市左京区の岡崎の辺りには、平安時代、六勝寺と総称される6つのお寺が建っていました。 いずれも歴代の天皇等の御願によって建立されたお寺です。 六勝寺の6つのお寺とは、法勝寺(ほっしょうじ)、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺(じょうしょうじ)、延勝寺です。 このうち尊勝寺は、平安神宮の西にある府営住宅西天王町団地が跡地とされています。

平安時代の福祉施設悲田院の跡地

平安時代、京都には東西2ヶ所に福祉施設が設けられました。 平安時代の東に設けられた福祉施設は悲田院と呼ばれ、京都中の捨て子、孤児、貧窮者、老残者などを収容していました。 その悲田院は、現在の河原町御池の辺りにあったそうです。

河原町の由来となった源融の河原院跡

平安時代、嵯峨天皇の皇子であった源融(みなもとのとおる)は、源氏物語の光源氏のモデルと言われています。 光源氏のモデルですから、当然、源融は貴族であり、宇治に別荘を持つほど優雅な暮らしをしていました。 しかし、摂政の藤原基経の力が強くなったことで、源融は隠棲することになり、鴨川の近くに河原院(かわらのいん)という邸宅に住むことになります。

護王神社の塀に架かる和気清麻呂の物語

京都市上京区の護王神社は、和気清麻呂(わけのきよまろ)を祭神として祀っている神社です。 護王神社には、何度も参拝しているのですが、最近になって気付いたものがありました。 それは、東の塀に20枚以上の絵が架かっていることです。 この絵は、和気清麻呂の物語を描いたもので、平成10年(1998年)10月に和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)千二百年祭記念として塀に掲げられたもののようです。

人臣最初の摂政となった藤原良房の邸宅があった染殿第跡

京都市上京区にある京都御苑は、江戸時代以前は公卿の邸宅がたくさん建ち並んでいました。 現在では、京都御苑を代表する建物は、京都御所や仙洞御所などが一部残っているだけです。 公卿の邸宅があった地には、それを示す立札や石碑がありますが、建物はほとんど残っていません。 京都御苑内の北東には、かつて藤原良房の邸宅「染殿第」がありましたが、こちらも他の邸宅跡と同じく建物は残っていませんね。