
後藤顕乗の墓石が叡山電車の市原駅にある
江戸時代に京都には三大長者と称される家がありました。 高瀬川の開削を行ったことで知られる角倉了以(すみのくらりょうい)を輩出した角倉家、呉服で巨万の富を得た茶屋家、そして、金工界に絶大な勢力をふるった後藤家が、その三大長者です。 後藤家は、室町時代に足利義政に仕えた祐乗(ゆうじょう)が始祖で、江戸時代前期の顕乗(けんじょう)が中興の祖と言われています。
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江戸時代に京都には三大長者と称される家がありました。 高瀬川の開削を行ったことで知られる角倉了以(すみのくらりょうい)を輩出した角倉家、呉服で巨万の富を得た茶屋家、そして、金工界に絶大な勢力をふるった後藤家が、その三大長者です。 後藤家は、室町時代に足利義政に仕えた祐乗(ゆうじょう)が始祖で、江戸時代前期の顕乗(けんじょう)が中興の祖と言われています。
奥の細道を著した江戸時代の俳人松尾芭蕉は多くの俳句を残しています。 そして、芭蕉の句碑は全国のいろんなところにあります。 京都にも芭蕉の句碑がいくつかありますね。 京都にあるすべての芭蕉の句碑を把握しているわけではないのですが、伏見区の西岸寺(さいがんじ)の境内にも芭蕉の句碑があります。
現在、京都市下京区はビジネス街となっています。 京都駅があったり、金融機関が建ち並ぶ四条烏丸があったりと、京都市の経済を支えている地域と言っても過言ではないでしょう。 もちろん、中京区、上京区、南区、その他様々な地域が京都市の経済に貢献していることは言うまでもありません。 さて、四条烏丸の交差点から南西に5分ほど歩いた「仏光寺通烏丸西入る」に江戸時代の文化人の与謝蕪村の邸宅跡の石碑があります。 ビジネス街でも、こういった史跡に巡り会えるのが京都の良いところであります。
京都市左京区にある南禅寺の参道脇の狭い道を北に1分ほど歩くと、西福寺というお寺が建っています。 浄土宗の小さなお寺で、普段は門が閉まっていて中に入ることはできません。 なので、観光で訪れるお寺ではありません。 でも、ここには江戸時代の読本系の作家で、雨月物語の著者である上田秋成のお墓があるということなので、先日、立ち寄ってみました。
京都市下京区の寺町四条は、電気店街として有名です。 寺町通の西側に家電量販店やパソコンショップが並んでおり、東側にはお寺や神社が並んでいます。 古いものと新しいものが向かい合っている姿は何とも不思議な光景ですね。 古いものが建ち並ぶ東側には、赤穂浪士の討ち入りに協力したことで知られる天野屋利兵衛のお墓がある聖光寺(しょうこうじ)も建っています。
京都府亀岡市の保津峡を川下りする保津川下りは、観光客の方に人気があります。 保津川下りは、JR亀岡駅近くから嵐山の渡月橋までの約16kmを2時間かけて下ります。 このような遊びができるのは、江戸時代に角倉了以(すみのくらりょうい)が保津峡を開削してくれたからなんですよね。
現在、京都にはたくさんのお寺や神社があります。 寺社には、京都らしい建築物が多いので、国内だけでなく海外からもたくさんの旅行者が観光で訪れますね。 私も、よく京都のお寺や神社に観光目的で参拝することがあります。その時は、せわしない日常を忘れて心がスッキリとするというか、気持ちがとても和むんですよね。 このようなすがすがしい気持ちにさせてくれる寺社ですが、その中には、ドロドロの政治の世界と関わってきたからこそ、今日まで存続しているところがいくつもあります。 京都市左京区に建つ南禅寺も、そのひとつと言えるでしょう。
関ヶ原の戦いの時、東軍と西軍に分かれて戦った家がありました。 それは真田家です。 父の昌幸と次男の幸村は西軍に味方し、長男の信幸は東軍に味方します。 戦いは、徳川家康率いる東軍の勝利で幕を閉じ、真田昌幸と幸村は死を覚悟しました。
2014年は、大坂冬の陣から400年目にあたります。 大坂冬の陣は、翌年に起こった夏の陣で豊臣家が亡びていることから、歴史的にみて重大事件と言えますね。 大坂冬の陣はとても有名な事件ですが、京都では、同じ年の慶長19年(1614年)に物流に革命が起こりました。 それは、高瀬川が完成したことです。
京都市下京区に蓮光寺(れんこうじ)というお寺があります。 蓮光寺は、平清盛ゆかりの駒止地蔵が安置されていることで知られていますが、他にも歴史上の人物と縁があります。 その歴史上の人物とは、土佐の戦国大名であった長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)です。