河合神社の禰宜になれなかったから誕生した方丈記

京都市左京区の下鴨神社の第一の摂社は、同じ糺(ただす)の森の中に建っている河合神社(かわいじんじゃ)です。 河合神社の禰宜(ねぎ)は、代々、鴨氏がつとめていました。 禰宜というのは、簡単にいうと、神職のひとつで祭祀に従事するのが役目です。 鎌倉時代に河合神社の禰宜になる予定でいたけど、なれなかった人がいます。 それは、方丈記の作者の鴨長明です。

実は京都の中心から少し北にずれている「へそ石」・六角堂

京都の中心はどこかと、京都に住んでいる方に聞けば、おそらく頂法寺と答えることでしょう。 頂法寺なんて聞いたことがないという人もいらっしゃるでしょうが、このお寺は、別名を六角堂といいます。 六角堂なら聞いたことがあるのではないでしょうか。 京都市中京区に建つ本堂が六角形のお寺ですね。

大堰川の由来となった葛野大堰を造った秦氏

昔から京都の中心は四条烏丸でした。 四条烏丸が、京都の中心となった理由のひとつに鴨川が近くを流れていたということが挙げられます。 川の近くに文明が発達しやすいというのは、京都でも同じだったんですね。 さて、京都を流れる川は鴨川だけではありません。 市内の西を流れる大きな川に桂川がありますね。 この桂川の流域でも、古代に勢力を伸ばした豪族がいました。 それは、秦(はた)氏です。

今も昔も京都経済の中心だった四条烏丸

京都の歴史といった場合、多くの人が平安京以降を思い浮かべるのではないでしょうか。 でも、京都が歴史的に注目が集まるのが平安時代以降ということであって、それ以前には京都に何もなかったわけではありませんし、人が住んでいなかったわけでもありません。 現在、京都の経済の中心となっているのは四条烏丸で、この辺りには多くの金融機関が建ち並んでいます。 全国的に有名な銀行や証券会社の他にも、京都に特化した会社なんかもありますね。 四条烏丸の発展は、近代からではありません。 実は、平安遷都(794年)以前から、四条烏丸は京都の中心として栄えていたのです。

宸殿がある京都のお寺を集めました

京都を観光する場合、お寺を拝観することが多いと思います。 お寺といっても、宗派が異なっていると、建っている建物にも違いがあるわけで、どこでも同じものを鑑賞できるわけではありません。 私がこれまで京都のお寺に参拝して、立派な建物だなと感じたのは宸殿(しんでん)ですね。 宸殿は、皇室関係者が代々住職を勤めてきた門跡寺院(もんぜきじいん)特有の建物で、格式が高いのが特徴です。 今回の記事では、私がこれまでに見たことがある京都の門跡寺院の宸殿を紹介します。

清水の舞台の春夏秋冬・清水寺

清水寺は、京都で最も人気がある観光名所。 京都に旅行される時は、必ず清水寺を拝観するといった方も多いのではないでしょうか。 でも、旅行時期がいつも同じなので、毎回同じような風景しか見たことがないという方も多いはず。 ということで、今回の記事では、清水寺の中でも、特に人気がある清水の舞台の四季折々の風景を写真でお伝えします。

東山に京都らしい景観を作り出している八坂の塔

京都市内で最も古都の風情を感じることができるのは、まちがいなく東山でしょう。 その東山の中でも、特に京都らしい景観をのこしているのが清水界隈ですね。 二年坂や三年坂に建ち並ぶお店の外観は、昔ながらの建築物といった感じで、国内旅行者や観光客の方は、どこか懐かしい気持ちになるのではないでしょうか。 清水界隈を京都らしくしているのは、こういったお店だけではありません。 忘れてはならないのが、法観寺の八坂の塔でしょう。

道路の端にひっそりとある菅原道真の邸宅跡・紅梅殿

京都市下京区の地下鉄四条駅から西に10分ほど歩くと、菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)という神社が建っています。 この菅大臣神社は、平安時代に菅原道真の邸宅であった白梅殿の跡地に建てられたものです。 社名や立地からもわかるように祭神として祀られているのは、学問の神様の菅原道真です。 菅原道真の邸宅は、白梅殿の他に紅梅殿もありました。

京都の庶民のはかない思いが地名となった化野

京都には、難読地名がたくさんあります。 蛸薬師(たこやくし)を一見して読める方は、なかなかの京都通と言えるのではないでしょうか。 でも、京都通の方でも、化野をすぐに読める方となると、その数は、かなり減りそうです。 「ばけの」や「かの」、「けの」と読んでしまいそうですが、化野と書いて「あだしの」と読むのが正解です。 化野は、京都市右京区の嵯峨野の北にある地名です。 いったい、なぜ、このような変わった名がついたのでしょうか。