清荒神の節分祭・2014年

2月3日に護浄院を訪れました。 目的はもちろん節分祭です。 護浄院は、京都御苑の東にあるお寺で、清荒神(きよしこうじん)の通称で親しまれています。 普段、あまりお参りに行かないお寺なのですが、節分祭が盛り上がるということを知ったので、参拝した次第です。

聖護院の節分会・2014年

毎年2月3日は、京都の各地で節分祭が催されます。 節分祭が有名なお寺や神社はたくさんあり、左京区の聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)の節分会もそのうちのひとつです。 追儺式(ついなしき)が午後1時から行われるということだったので、それより15分ほど前に聖護院に到着し、しばらく待つことに。

石清水八幡宮の鬼やらい神事・2014年

毎年、2月3日の節分の日の直前の日曜日に京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で、鬼やらい神事が行われます。 鬼やらい神事というは、簡単にいうと、豆まきですね。 境内に現れた鬼に向かって、福豆を投げつけるあの豆まきです。 2014年は2月3日が月曜日なので、2月2日の日曜日に鬼やらい神事が行われました。

平安京の大内裏は南北中心線と東西の線を結んだ中心点に建っていた

平安京は、四神相応の地に造営された都です。 四神相応の地というのは、北に玄武、東に青竜、南に朱雀、西に白虎という四方を守る神がいる地形のことです。 これを平安京に当てはめると、北は船岡山、東は鴨川、南は巨椋池(おぐらいけ)、西は山陰道に囲まれており、まさに四神相応の地だったわけです。 そして、平安京の中心をなす大内裏(だいだいり)の位置は、風水の思想によって決定されたといわれています。

後醍醐天皇の崩御と天龍寺の造営

延元3年(1338年)5月の北畠顕家の戦死と7月の新田義貞の戦死で、南朝は大きな打撃を受けました。 すでに楠木正成も名和長年もこの世にはいないので、南朝の主だった武将はほとんどいなくなりました。 そのような中、延元4年8月16日に後醍醐天皇もこの世を去りました。

高師直の攻撃で炎上した石清水八幡宮

延元2年(1337年)12月。 東北を出発した北畠顕家は、足利義詮(あしかがよしあきら)がいる鎌倉を攻略し、そのまま一気に吉野に向かって進軍しました。 しかし、青野ヶ原で足利軍と戦って伊勢に敗走、その後も般若坂で敗北し、顕家は行方知れずとなります。

名水探訪・下御霊神社

京都市中京区の下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)の境内からは、名水が湧き出ています。 その名も下御霊神社の御香水です。 この御香水を汲ませていただくために1月中旬に下御霊神社に参拝してきました。

名水探訪・菅原院天満宮神社

京都には、名水が湧き出る名所がたくさんあります。 京都市上京区の菅原院天満宮神社もそのひとつですね。 菅原院天満宮神社には、何度もお参りをしているのですが、いつもペットボトルを持参しておらず、名水を汲まずにいました。 一度は名水を汲んで飲んでみようと思っていたので、1月中旬に初詣を兼ねて、菅原院天満宮神社を訪れました。