京都市には海がないのに海水を焼いて塩を取る塩焼きが行われた場所が2つあります。
ひとつは西京区の十輪寺で、もうひとつは下京区の本覚寺です。
塩焼きが行われたのは、平安時代前期です。
十輪寺では在原業平(ありわらのなりひら)が、本覚寺では源融(みなもとのとおる)が塩焼きをしました。
十輪寺の塩竃の跡
十輪寺は、嘉祥3年(850年)に染殿皇后が安産祈願のために創建したお寺です。
在原業平が、隠棲したことから「なりひら寺」とも呼ばれています。
境内の裏山には、業平が塩焼きをした塩竃(しおがま)の跡があります。
業平は、難波から海水を運ばせて、この地で塩焼きをし、その煙にかつての恋人であった藤原高子(ふじわらのたかいこ)への思いを託したと伝えられています。
塩竃の跡に行く途中には、業平のお墓もあります。
木と木の間にひっそりと建てられている小さな宝篋印塔が、業平のお墓です。
ちなみに十輪寺が建つ辺りは、業平の塩焼きの故事から小塩という地名が付いています。
本覚寺
源融が塩焼きを行った河原院塩竃(かわらのいんしおがま)の第があった場所は、五条河原町近くに建つ本覚寺です。
源融は、鴨川から水を引いて池を造り、宮城県の塩竃の浦の景観をこの地に移し、難波から海水を運ばせて塩焼きを楽しんだと伝えられています。
ちなみに本覚寺の住所は本塩竃町といいます。
源融が塩焼きを楽しんだと伝えられている場所は、もう1か所あります。
それは、本覚寺から少し南下した辺りにある渉成園です。
渉成園は、東本願寺の飛地境内で、中には源融ゆかりの塔があります。
他にも塩釜の手水鉢(ちょうずばち)もあり、この地が源融と関係が深かったことを想像させます。
下の写真に写っているのが、それです。渉成園にある塩釜の手水鉢は、全国の庭園にある塩釜の手水鉢の手本となるオリジナルだそうです。
なお、渉成園が、源融ゆかりの地とされていたのは以前のことで、現在では研究が進み、本覚寺の辺りが河原院塩竃の第があった場所だとされています。
在原業平と源融
在原業平と源融について少し調べてみたところ、いくつか共通点があることがわかりました。
まず、2人が活躍した時代がほぼ同時期だということです。
業平の生年は825年で没年は880年。
源融の生年は822年で没年は895年。
また、両者は美男子だったことでも共通しています。
在原業平は伊勢物語の主人公のモデルとされ、源融は源氏物語の主人公のモデルとされている点から、男前だったということがうかがえます。
平安時代の2人の美男子が塩焼きをしたということには、何か意味がありそうですね。