真冬に妙法院に参拝した・2026年

1月中旬に京都市東山区の方広寺に参拝した後、東に約3分歩き、妙法院を訪れました。

妙法院は、天台宗の三門跡寺院の一つ。

門跡(もんぜき)は、代々、皇族関係者が入寺した格式の高いお寺ですが、妙法院は誰でもお参りできるのが親しみやすいですね。

日泰寺造営記念樹の蘇鉄

妙法院には、京阪電車の七条駅から北東に約10分歩くと到着します。

市バスだと「東山七条」で下車してすぐです。

押しボタン式信号が青に変わり、東大路通を横断。

その先の緩やかな坂の上に妙法院の北門が開かれています。

北門

北門

北門をくぐった左手には、年越ししたツワブキが咲いているものの、縮んだかのように花のボリュームが失われていました。

ツワブキ

ツワブキ

それでも、葉は青々とし、真夏のハスの葉のように元気いっぱい。

北門から南へ進みます。

途中にはお寺の事務所がありますが、人の気配は感じられず。

事務所

事務所

事務所の正面には、南国を思わせるソテツが両手をいっぱいに広げたような姿で植わっています。

ソテツ

ソテツ

近くの説明書を読むと、このソテツは明治時代に東海日泰寺造営の協賛お礼として献納されたものと記されていました。

初代駐泰公使・稲垣満次郎は、明治維新以来、沈滞の続く仏教界の鼓舞振興策としてタイ(旧称シャム)より日本への仏舎利の分骨奉戴を運動します。

これをうけて仏教界は「日本菩堤会」を結成し、妙法院の村田寂順門主が初代会長となりました。

明治33年(1900年)に招来された仏舎利は、長崎、大阪で熱烈な拝迎式を経て京都駅に到着。

喚鐘と花火の慶祝に続き、東本願寺から妙法院まで3時間で市中を練行、二列体の参加者3万人、沿道では20万人が歓迎したと伝えられています。

妙法院では4ヶ月間奉祀され、明治36年10月に仏舎利を本尊とする日暹寺(昭和17年に日泰寺と改称)が落慶、官民一体、超宗派の宗教信仰の象徴として今日に及んでいるとのこと。

ソテツは冬になると、ゴザのようなもので全身を包まれていることが多いですが、妙法院のソテツは寒さに負けず肌を露出していますね。

これから養生するのでしょうか。

事務所の南側には、国宝の庫裏(くり)が建っていますが、現在工事中。

工事中の庫裏

工事中の庫裏

中を覗き見ると柱がむき出し。

令和2年(2020年)11月から始まった工事は、令和9年3月に完成予定です。

3年くらい前に工事が始まったような気がしていましたが、月日が流れるのは早いもので、すでに5年が経過しています。

あと1年ほどで完成ですが、落慶法要も行われるのでしょうか。

冬の風景

庫裏を過ぎ大玄関付近にやって来ると、壁のように刈り込まれたサザンカが白色の花を所々で咲かせていました。

サザンカ

サザンカ

サザンカはツツジのように全身が花に包まれることはないものの、それが、花を見る機会が少ないこの時期には、より貴重なものに映ります。

境内の南側の参道を東に向かって歩きます。

参道の先に見える三角屋根のお堂は、普賢菩薩を祀る本堂です。

境内の南側

境内の南側

雲が厚くなり始め、雪が降ってもおかしくない寒さ。

それにしては、地面に生えたコケは緑色の面積が広く、みずみずしい姿を保っていますね。

苔と七卿碑

苔と七卿碑

奥に見える石碑は、文久3年(1863年)の七卿落ちを伝える七卿碑。

参道を東の奥まで歩き、本堂にお参り。

本尊は辰・巳年の守護尊で、殊に健康長寿のご利益を施してくれると信仰されています。

年が改まり巳年から午年に変わりましたが、しっかり祈願して健康で長生きできるようご利益を授かっておきましょう。

本堂の北西に建つのは、門跡寺院特有の宸殿(しんでん)。

宸殿

宸殿

とても大きな建物で、檜皮葺の屋根がなんとも上品なたたずまい。

瓦葺や銅板葺だと、このような気品ある姿にはならないでしょうね。

宸殿の正面左右に植えられた梅は、どちらもつぼみが膨らみ始めていました。

梅のつぼみ

梅のつぼみ

開花までまだ時間がかかりそうですが、2月に入ると、ちらほらと咲き始めていそう。

例年、京都市内の梅の見ごろは2月中旬以降ですから、妙法院に梅を見にくる場合も、それまで待った方が良いですよ。

本堂にお参りを済ませたので、そろそろ妙法院から出ることに。

冬場ということもあり、境内には工事をしている方以外は誰もいませんでした。

工事をしてなくても、いつも静かなお寺なんですけどね。

なお、妙法院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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