京都市右京区の五智山蓮華寺には、五智如来などの大きな石仏が境内に祀られています。
世界遺産の仁和寺のすぐ近くにありますから、仁和寺に参拝した時には蓮華寺にもお参りをして石仏を見ておきたいですね。
蓮華寺の石仏を製作したのは、江戸時代の但称上人です。
但称上人は、その生涯において2万体もの石仏を製作したと伝えられており、下京区の因幡薬師(平等寺)にも但称上人作の石仏が置かれています。
蓮華寺の石仏
蓮華寺には、京福電車の御室仁和寺駅から北東に約5分歩くと到着します。
市バス停「仁和寺前」からだと東に徒歩約3分です。
下の写真に写っているのは、蓮華寺の不動堂です。
不動堂の西側に但称上人作の五智如来、その後ろに十一座像が置かれています。
蓮華寺の創建は、天喜5年(1057年)で、当初は広沢池の北西に建っていましたが、寛永18年(1641年)に音戸山の山上に再興されています。
この再興の時に江戸の豪商樋口平太夫家次が援助をし、但称上人が製作した石仏群を蓮華寺に寄進しています。
その後、昭和のはじめに現在地に再興され、昭和33年(1958年)に音戸山に残されていた石仏群も境内に移されてきました。
平等寺の石仏
音戸山に祀られていた石仏の全てが現在の蓮華寺に移されたわけではありませんでした。
以前に紹介した書籍『京都 知られざる歴史探検』の下巻では、音戸山の残りの石仏は、右京区の広沢池、山科区の本圀寺、下京区の平等寺に搬出されたと記載されています。
その中の平等寺は、地下鉄四条駅、または、阪急電車の烏丸駅から南に約5分歩いたところにあります。
境内に入り、本堂の西側に回ると、いくつかのお堂が建ち並んでおり、奥に小さな祠が置かれています。
その祠の後ろに並んだ金剛夜叉明王と多聞天が、寛永18年に但称上人が製作した石仏です。
もしも、蓮華寺が、現在地に再興されていなければ、今も、この石仏は音戸山に置かれていたかもしれません。
ちなみに以前は、祠がなく、金剛夜叉明王と多聞天の全身が見やすくなっていました。
音戸山から蓮華寺に石仏群が移されたのが昭和33年ですから、金剛夜叉明王と多聞天の像は、その頃かそれ以降に平等寺に移されたのでしょうね。
但称上人は、生涯に2万体も石仏を製作していますから、きっと今も、日本全国のどこかで彼の手による石仏を拝んでいる人がいることでしょう。