阪急電車の烏丸駅から四条通を東に約5分歩いた辺りに百貨店の大丸京都店があります。
大丸は、大阪や東京などにも店舗を持ち、日本を代表する百貨店ですが、その発祥の地は京都市伏見区です。
下村彦衛門正啓(しもむらひこえもんしょうけい)が、江戸時代の享保2年(1717年)に伏見に呉服店「大文字屋」を開業したのが大丸の始まりで、東山区の瀧尾神社(たきおじんじゃ)や伏見区の宝塔寺は、大丸の創業家の下村家とゆかりがあります。
瀧尾神社の絵馬堂にかかる大丸名古屋店の絵馬
京阪電車の東福寺駅から北に約3分歩いたところに建つ瀧尾神社は、天保10年(1739年)から翌11年にかけて、下村家によって社殿が整備されています。
境内の南西角に建つ絵馬堂の上部には、下村家が奉納した大丸名古屋店の絵馬がかかっています。
以前に紹介した書籍『京都 知られざる歴史探検』の下巻によれば、伏見の京町北八丁目に開設した大文字屋は、屋号を大丸に改めた後、元文元年(1736年)に洛中の東洞院押小路下ル船屋町に本店を移転し、幕末には1日に千両もの売上を記録したとのこと。
下村彦衛門は、「義を先にして利を後にする者は栄える」を座右の銘とし、その言葉は代々受け継がれ、大丸は、利益の一部を貧民救済にあてる社会貢献活動も熱心に行っていました。
そのため、天保8年に起こった大塩平八郎の乱では、大丸は義商とみなされて焼き討ちを免れたと伝わっています。
瀧尾神社の社殿の整備は、下村彦衛門の言葉が100年後まで受け継がれてきたことの証と言えますね。
宝塔寺
大丸創業家の下村家の菩提寺なっているのが、京阪電車の龍谷大前深草駅から東に約10分歩いた場所にある宝塔寺です。
宝塔寺は、平安時代に創建された極楽寺を起源とし、後に日蓮宗に改宗しています。
境内には、下村家の墓地があり、代々の当主のお墓以外にも、大丸に生涯仕えた奉公人たちの供養塔も立っています。
実物は見たことがないのですが、六角柱の石塔には、奉公人の名がギッシリと刻まれており、その数は2千人を超えるそうです。
こういったところにも、下村家が、義を先にして利を後にすることを大切にしていたことがうかがえますね。
大丸京都店では、7月の祇園祭の期間に大船鉾の龍頭が展示されていたことがありました。
この龍頭は、瀧尾神社の拝殿の天井にある龍の彫り物を参考に復元されたものです。
大船鉾の龍頭が大丸京都店に展示されたのは、下村家が瀧尾神社とゆかりがあったからなのかもしれませんね。