10月上旬に京都市伏見区の乃木神社に参拝した後、北に約10分歩き、明治天皇伏見桃山陵(めいじてんのうふしみのももやまのみささぎ)を訪れました。
明治天皇伏見桃山陵は、その名のとおり、明治天皇のお墓です。
京都市内には、多くの天皇陵がありますが、そのほとんどがコンビニの建物程度の面積です。
ところが、明治天皇伏見桃山陵は、とても広く、まさに天皇陵といった風格があります。
曇り空の下の景色
明治天皇伏見桃山陵には、JRの桃山駅から北東に約15分歩くと到着します。
近鉄電車の桃山御陵前駅と京阪電車の伏見桃山駅からだと、東に徒歩約20分です。
明治天皇伏見桃山陵の参道の入り口にやって来ました。
参道は、背の高い木々に囲まれています。
参道は、500メートルくらいあるでしょうか。
砂利道を歩いても歩いても、終わりがないように感じるほど長いです。
ようやく視界が開けてきました。
広々とした敷地には、建物が建っています。
宮内庁の建物でしょうか。
フェンスがあるので、建物に近づくことはできません。
明治天皇伏見桃山陵は、常緑樹が多く、1年を通して緑があふれています。
鳥居の前にやって来ました。
鳥居の奥には、巨大な土饅頭のような墳墓があります。
実際に見ると、この大きさには圧倒されます。
古代の天皇陵には、規模の大きなものが見られますが、平安時代以降の天皇陵は規模が小さく、明治天皇伏見桃山陵のような大規模の天皇陵は稀です。
近くにある桓武天皇柏原陵(かんむてんのうかしわばらのみささぎ)は、規模が大きめですが、それでも明治天皇伏見桃山陵ほどではありません。
鳥居の南には、京都府南部の街が広がっています。
この日は曇っていましたが、晴れた日のここからの眺めは、実に爽快であります。
空が高く感じられる秋や冬に眺めるのがおすすめです。
見下ろす石段。
この石段を上って、鳥居の前にやって来るのは大変ですね。
明治天皇伏見桃山陵から、東に山を下るように歩いていきます。
すると、再び天皇陵のようなところに出てきます。
ここは、昭憲皇太后伏見桃山東陵(しょうけんこうたいごうふしみのももやまのひがしのみささぎ)です。
昭憲皇太后は、明治天皇の皇后で、明治2年(1869年)に入内しています。
崩御は、大正3年(1914年)です。
昭憲皇太后と言えば、日露戦争の時、夢枕に坂本竜馬が現れ、「海軍を守護する」とのお告げを聞いたという話が有名ですね。
昭憲皇太后伏見桃山東陵は、明治天皇伏見桃山陵よりも規模が小さめですが、それでも他の天皇陵を圧倒する規模となっています。
明治という時代は、日清日露の2回の戦争に勝利し、西洋諸国と肩を並べるほどに発展しました。
明治天皇と昭憲皇太后の陵墓が、このように大きなのは、そのような時代背景が影響しているのかもしれませんね。
伏見区に観光で訪れた際は、明治天皇伏見桃山陵にも足を延ばしてはいかがでしょうか。
この後は、伏見桃山城を訪れます。