発明王のエジソンは、白熱電球のフィラメントに京都府八幡市の竹を使ったとされています。
そのため、八幡市の男山に鎮座する石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の神苑には、エジソン記念碑が置かれています。
エジソンが八幡市の竹を使って白熱電球を発明したことは有名な話ですが、彼は、いったい、どうやって八幡の竹を手に入れたのでしょうか。
世界中に調査員を派遣
下の写真に写っているのが、石清水八幡宮のエジソン記念碑です。
エジソン記念碑の後ろには、たくさんの竹が植えられていますね。
石清水八幡宮の説明書によると、この記念碑は、エジソンとその業績を記念するため建てられたもので、最初の記念碑は1934年に当宮の境内に建てられたそうです。
その後、1958年に現在の場所に移転され、1984年にデザインを一新し現在の記念碑が再建されました。
エジソンは、1878年に白熱電球の実用化に取り組んでいました。
蒲田春樹さんの著書『そうだ神さまに訊こう!』によると、当初の電球のフィラメントには綿糸が使われていたそうですが、耐久時間が40時間しかなかったそうです。
エジソンは、様々な素材をフィラメントに使い耐久力を高めようとしていくうちに南米産のうちわに目を留めます。
そのうちわには、竹の一種であるパルメットが使用されており、これをフィラメントにすると、耐久時間が400時間に延びました。
そこで、エジソンは、竹類の中から、耐久力のある素材を探すことにし、20人の調査員を全世界に派遣します。
槇村正直の紹介で八幡の竹に出会う
エジソンの調査員の一人であったウィリアム・H・モアは、日本を担当し、横浜にやって来ました。
彼が調査を始めると、竹なら京都が良いとのアドバイスを受けたことから、船で神戸に向かいました。
そして、神戸領事館に向かう途中、竹製の扇子を見つけ、これが京都の宮脇賣扇庵(みやわきばいせんあん)の商品であることを知ります。
ウィリアム・H・モアは、さっそく、京都に行き、宮脇賣扇庵を訪ねたところ、当時の主人から、京都府知事の槇村正直を紹介されました。
そして、槇村は、ウィリアム・H・モアに竹の業者を紹介し、石清水八幡宮近くの真竹と出会いました。
当宮の説明書によると、八幡の竹は江戸時代には刀剣の留め具である目釘竹の名品として徳川将軍家に献上されており、強くて質が高いことで有名だったとのこと。
エジソンが、八幡の真竹を試したところ、1000時間以上燃焼する耐久性に優れたフィラメントを作ることに成功しました。
石清水八幡宮では、毎年正月になると、高さ8メートルの巨大な御神矢が本殿の前に2本立てられます。
この御神矢は、男山から切り出した竹で作られています。
今でも、男山には多くの竹が植わっており、春にはタケノコの販売も行われています。
また、石清水八幡宮では、エジソンの誕生日の2月11日にエジソン生誕祭、命日の10月18日にエジソン碑前祭が行われます。
石清水八幡宮に参拝した時は、エジソン記念碑も、しっかりと見ておきたいですね。
なお、石清水八幡宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。