叡山電車の木野駅を出て南に約3分歩いたところに妙満寺という日蓮宗のお寺があります。
かつては、中京区にあった妙満寺は、昭和43年(1968年)に閑静な現在地に移転しています。
その妙満寺には、雪月花の三名園のうちの雪の庭があります。
雪の庭は拝観することができ、その際、安珍と清姫の鐘と呼ばれる道成寺(どうじょうじ)の鐘も鑑賞できます。
ヘビになった清姫
平安時代、熊野詣の修験者であった安珍は、一夜の宿を借りるため、庄屋の家に泊めてもらいます。
その時、安珍は庄屋の娘の清姫と恋に落ちました。
そして、2人は再会を約束し、安珍は旅立ちます。
しかし、安珍は約束を破り逃げてしまいました。
清姫は、約束の日になっても現れない安珍を追い求めます。
清姫は安珍を見つけるものの、人違いだと言われ怒ります。
神仏に祈りながら逃げる安珍。
安珍が日高川を渡ると、清姫もヘビに変わり、日高川を渡ってきます。
やがて、安珍は道成寺に逃げ込み釣鐘の中に隠れました。
しかし、清姫は、安珍が釣鐘の中に隠れているのを見つけ、炎を吐いて焼き殺します。
そして、自らも日高川に身を投げました。
これが安珍と清姫の伝説です。
清姫の怨念再び
安珍と清姫の事件から430年後の正平14年(1359年)。
道成寺で、釣鐘が再鋳されました。
そして、祝いの席で白拍子が舞を終えると、鐘が落下し、白拍子はヘビに変わりました。
僧たちは、清姫の怨念と思い一身に祈ると、ヘビは日高川に消えていきました。
しかし、その事件から、近隣で災厄が続いたため、道成寺は、この鐘を裏の竹林に埋めてしまいます。
時は過ぎ、天正13年(1585年)。
紀州根来を攻めていた豊臣秀吉がその話を知り、鐘を掘り起こして京都に持ち帰りました。
鐘を持ち帰った秀吉は、怨念を払ってもらおうと妙満寺に鐘を納めます。
妙満寺では、日殷大僧正が法華経により鐘を供養し、怨念が解かれました。
毎年春になると、妙満寺では、鐘供養が行われます。
歌舞伎の「娘道成寺」や能の「道成寺」を演じる役者は、妙満寺の鐘に芸道精進を祈るそうです。
現在の妙満寺は、広々とした境内に建つ仏舎利大塔が一際目立ちます。
本堂にお参りをして振り返ると、雄大な比叡山を間近に見ることができ、晴れている日は心を洗われるような清々しさを感じます。
日殷大僧正が鐘を供養したのはこの地ではありませんが、心が安らぐような静かな場所に安置されている鐘に再び怨念が宿ることはなさそうです。
妙満寺に参拝した時は、ぜひ、道成寺の鐘も鑑賞してください。
なお、妙満寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。