10月上旬。
京都市下京区に建つ五條天神宮に参拝しました。
五條天神宮は、京都の街中にあり、境内の南側には大きなマンションが建っています。
京都市内の寺社は、自然が多く残っている地に建っていることもありますが、五條天神宮のように街中に建っていることもあります。
様々な時代の建物が混在しているのも京都の特徴ですね。
街中でもひっそりとしている境内
地下鉄五条駅から五条通を西に歩き、西洞院通を北に進むと、五條天神宮の鳥居と神門が現れます。
所要時間は徒歩約10分ですね。
神門越しに見る境内。
いつもながら、無人であります。
神門をくぐると左側に手水屋があります。
龍の口から流れる水が手水鉢から溢れています。
境内の中央に本殿が建っているのでお参りをしましょう。
五條天神宮は、延暦13年(794年)の平安遷都にあたり、弘法大師空海が大和国宇陀郡から天神(あまつかみ)を勧請(かんじょう)したのが始まりとされています。
当初は、天使の宮や天使の社と呼ばれていましたが、後鳥羽天皇の時代に現在の社名に改称されました。
祭神として祀られているのは、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、天照大神です。
少彦名命は医薬の祖神として信仰されていますが、現在は厄除けの神さまとしても知られています。
本殿の後ろには、筑紫天満宮があります。
天満宮といつも一緒にいるのが牛ですね。
他にも、多くの末社が建っていますよ。
五條天神宮は、平安時代後期に牛若丸と弁慶が出会った神社と伝えられています。
一般的には、五条大橋で2人は出会ったとされていますが、このような異説もあるんですね。
本殿の前には、大きな灯籠。
上に乗っている屋根が立派であります。
口を開けた阿形(あぎょう)の狛犬。
五條天神宮は、かつては広い境内を持っていたのですが、豊臣秀吉の京都改造によって、境内が2つに分断されてしまいました。
豊臣秀吉は、京都の多くの寺社を移転したりして街を整備しましたが、五條天神宮では境内を南北に貫くように通りが造られたのです。
そのため、この通りは天使突抜通と呼ばれ、現在も、この付近は天使突抜町と呼ばれています。
さらに幕末の元治元年(1864年)の蛤御門(はまぐりごもん)の変では、本殿を含め多くの社殿が焼失しています。
その後、再建されていますが、境内は以前よりも狭くなりました。
本殿の前には、サカキの木が植えられています。
帰りは、北側の鳥居から出ましょう。
五條天神宮は、その長い歴史の中で時代の荒波にもまれ、今の姿に落ち着いています。
平安時代以降、廃絶した神社はいくつもあるでしょうから、五條天神宮のように長く存続している神社は貴重ですね。
なお、五條天神宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。