9月上旬に京都市伏見区の嘉祥寺に参拝した後、道路を挟んだ東隣に建つ真宗院(しんじゅういん)にも参拝しました。
真宗院には、過去、山門の前を通りかかったことはありますが、境内に入ったことはありません。
なので、今回が初めてのお参りになります。
後深草天皇ゆかりのお寺
真宗院は、京阪電車の藤森駅から東に10分ほど歩いた辺りに建っています。
入り口の山門は、西を向いて建っています。
山門は閉まっているようでしたが、通用口が開いていたので、ここから中に入ることに。
西に向かう参道。
参道を奥まで進むと、北側に中門があります。
中門をくぐると、右手にカエデがたくさん植えられていました。
11月には紅葉が美しそうですね。
カエデの参道を抜けると、正面に本堂が建っています。
本堂の扁額には、龍護殿と書かれていました。
それでは、本堂にお参りをしましょう。
真宗院は、浄土宗西山深草派(せいざんふかくさは)のお寺で、宝治年間(1247-1249年)に後深草天皇の帰依を受けて、現在より少し西南に円空上人が建立したのが始まりです。
円空上人は、鹿ケ谷の変で、謀反を平清盛に知らせた多田行綱の末孫で、浄土宗の開祖法然上人の直弟子であった証空上人に教えを師事しました。
遠望される西山の夕日が、日想観に至高の場として当地を選び、真宗院を創建したそうです。
そして、深草山のふもとで、盛んに宗義を唱えたことから、後深草天皇より真宗院の勅号を賜っています。
後深草天皇は、北朝の持明院統の祖であり、真宗院の法華堂に遺骨を安置したのが、嘉祥寺の西隣にある深草十二帝陵の始まりと伝えられています。
境内の西側には、かすみ谷地蔵尊を祀るお堂が建っています。
かすみ谷地蔵尊は、胎内に宿った子が、経済的、身体的等の理由で、やむなく日の目を見ずに霞と消えた命を供養するお地蔵さまのようです。
かすみ谷地蔵尊のお堂の後ろには、東方薬師如来の像が立っています。
近くの石碑には、「薬師如来 御真言 おんころころ せんだり まとうぎそわか」と刻まれていました。
東方薬師如来の北に建つ鐘楼。
鐘楼の奥には、朱色の鎮守社もあります。
この鎮守社には、愛宕大権現、春日大明神、稲荷大明神、祇園牛頭天王(ぎおんごずてんのう)、八幡大菩薩、藤森崇道天王の6柱の神さまが祀られています。
お参りしておけば、どのような願い事も叶いそうです。
真宗院は、その後、応仁の乱(1467年)で衰微しましたが、龍空上人が寛永年間(1624-1644年)に再興し、龍護殿を修復しています。
しかし、その龍護殿は大正4年(1915年)に焼失し、昭和6年(1931年)に現在の本堂が再建されました。
境内の東側では、白砂が四角に盛られていました。
右の方に大きな石が2つ置かれていますが、庭園のようなものなのでしょうか。
初秋の真宗院は、私の他に参拝者はおらず、静かにお参りできました。
この辺りは、観光で訪れる人が少ないので、落ち着いて散策できますね。
真宗院の後は、藤森神社に参拝しました。
なお、真宗院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。