9月上旬に京都市下京区にある輪違屋(わちがいや)と角屋(すみや)の特別公開を見た後、近くに建つ島原住吉神社に参拝しました。
当社を訪れるのは今回が初めてです。
あまり島原に行くことがないので、島原住吉神社という神社があることも、これまで知りませんでした。
良縁のご利益がある
島原住吉神社は、JR丹波口駅から南に5分ほど歩いた辺りに建っています。
鳥居の前に到着。
島原住吉神社は、道路の脇にひっそりと建っており、外から見ても境内は広くないことがわかります。
鳥居をくぐって境内に入ると、手前に拝殿、奥に本殿が建っています。
それでは、本殿にお参りをしましょう。
神社の説明書によると、島原住吉神社は、もとは島原中堂寺町の住吉屋太兵衛の自宅で祀っていた住吉大明神が、霊験あらたかにして良縁のご利益があり、参拝者がよく訪れていたことから、享保17年(1732年)に祭神を島原の西北に遷座し建立したということです。
現在は狭い境内ですが、かつては広大な敷地を持っており、島原の鎮守の神さまとして崇められていました。
しかし、明治維新後の廃仏毀釈により神社株を持たない島原住吉神社は廃社となり、祭神は歌舞練場内に祀ることになります。
明治36年(1903年)には、船井郡本梅村から無格稲荷社の社株を譲り受けて再興されたのですが、境内は狭くなり、正式名称は住吉神社は認められず稲荷神社となったそうです。
それから時が経ち、平成11年(1999年)に社殿、拝殿を改修し、社務所も新築され、同13年には社名を島原住吉神社に戻すことができました。
境内には、幸天満宮(さいわいてんまんぐう)の社殿も建っています。
幸天満宮は、当初は揚屋町の会所に天神の祠があり、それが享保19年に当地に遷座したものだそうです。
延享5年(1748年)に九州の太宰府天満宮にならい、鷽替(うそかえ)の神事が営まれるようになったのですが、明治以降に廃れてしまったとのこと。
幸福をもたらしてくれそうな社名ですから、幸天満宮にもお参りをしておきましょう。
島原西門の石碑
島原住吉神社にお参りを済ませ境内から出ると、塀際に島原西門の石碑がありました。
京都の花街であった島原は、当初は東側にしか入り口がありませんでしたが、享保17年に西側中央部に西門も設けられました。
できたばかりの西門は、ただ両側に門柱が建っていただけだったのですが、天保13年(1842年)に現在地に移され、構えも高麗門型となります。
西門は、近年まで存在していたのですが、現在は石碑だけとなっています。
昭和52年(1977年)に交通事故で西門は全壊。
3年後に復元されたのですが、平成10年にふたたび交通事故で倒壊し、その後は再建されることなく、石碑が置かれるだけとなりました。
京都市内には、歴史のある建物がいくつも残っていますが、不運にも事故などで失われてしまうこともあります。
現存する歴史的価値のある建造物も、過去に存亡の危機を迎えたことが幾度もありました。
島原西門の石碑を見ていると、建物を長く残すことは難しいのだと気付かされますね。
なお、島原住吉神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。