10月末に京都御所の一般公開に行った後、烏丸通を挟んで西隣に建つ護王神社にお参りしてきました。
護王神社は、足腰の病気やけがの平癒にご利益があると伝えられています。
いつまでも元気に京都観光をするためにも、足腰は丈夫でいたいので、1年に1回はお参りをしておきたいですね。
和気清麻呂像
護王神社の北側に到着。
東の神門が立派なので、正式な入口は東側なのでしょうが、今回は北側から境内に入ることに。
北側の入り口付近には、「平安京をつくった人」と書かれた石碑が置かれています。
平安京に都を遷したのは桓武天皇ですが、それを提案したのは和気清麻呂(わけのきよまろ)です。
石碑に書かれている文章によると、和気清麻呂は、狩猟にことよせて桓武天皇を東山に誘い、京都盆地を見下ろしながら長岡から京都への遷都を進言したそうです。
それが桓武天皇に認められ、平安遷都が決定し、清麻呂は造営太夫として精魂を傾けて都づくりに尽力したとのこと。
北の門には、「喜多門」と書かれています。
喜び多い門とは、なかなか縁起が良さそうですね。
北側から境内に入ると、和気清麻呂像が立っています。
彼は、護王神社の祭神として祀られています。
像からは、立派な人といった印象を受けますね。
黒光りする和気清麻呂像の近くには、小さ目の石造りの和気清麻呂像も。
この石造りの和気清麻呂像は、滋野国民中学校(滋野中学校)に昭和17年(1942年)に建立されたもので、除幕式は護王神社の奉仕で行われました。
しかし、平成14年(2002年)に同校は廃校となり、それを機に京都市教育委員会より護王神社に貸与されました。
貸与ということは、護王神社が京都市教育委員会から借りているということなのでしょうね。
神門の足腰御守とイノシシ
それでは、本殿にお参りです。
いつまでも足腰が弱らないようにしっかりとお願いしておきましょう。
舞殿は、何やら工事中。
工事と言うよりも何かの作業をしているようです。
背の高いイチョウは、まだ黄葉していません。
色づくのは11月中旬ころでしょうか。
東の神門の前には、「足萎難儀回復御守護石」が置かれています。
最近、足腰が衰えて来たとか、足腰に不安がある方は、この石を回しておくと良いでしょう。
神門の天井からは、大きな足腰御守が吊るされていました。
人の上半身くらいの大きさはありますね。
社務所で授かることができるのでしょうか。
神門の前には、狛猪が遠吠えをしているような姿で立っています。
その昔、和気清麻呂が宇佐八幡に赴く際、どこからともなく300頭のイノシシが現れ、10里の道のりを無事に案内したと伝えられています。
しかも、清麻呂は足萎えに悩んでいたのですが、不思議なことにそれも治ったといわれています。
護王神社が、足腰の病気やけがにご利益があるというのは、この故事が由来なんですね。
護王神社には、いたるところにイノシシがいます。
屋根の上にもいるので、参拝した時は忘れずに見ておきましょう。
なお、護王神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。