京都市北区の敷地神社は、安産のご利益があることで有名です。
何度か参拝したことがありますが、お参りに訪れている方は、若い女性が多いです。
やはり、安産のご利益があると信仰されていることから、若い女性がお参りによく訪れるんですね。
ご夫婦で参拝されている方もいらっしゃいます。
敷地神社の境内には社殿が5社あります。
今まで、本殿以外は、どういったご利益を授けてくれるのか、わからなかったのですが、最近、それそぞれの社の近くに説明書が設置されるようになったので、その内容がわかるようになりました。
今回の記事では、敷地神社の各社について紹介します。
安産のご利益を授けてくれるわら天神
境内に入ると、奥の方に社殿が5つ横に並んでいます。
中央の一番大きな社殿が、わら天神です。
祭神として祀られているのは、木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)です。
平安遷都以前から北山に祀られていたそうですが、足利義満が北山第(後の金閣寺)を造営するにあたって、参拝が不便となったため、当地に移されました。
古来より稲わらで編んだ籠に神饌を入れて神さまに捧げており、やがて、抜け落ちた稲わらを安産を願う妊婦の方が持ち帰るようになったそうです。
以降、稲わらを入れたお守りを妊婦の方に授与するようになったことから、わら天神の名称が広まったということです。
開運必勝の六勝神社
わら天神の右側に建っているのは、摂社の六勝神社です。
伊勢、岩清水、賀茂、松尾、稲荷、春日の六柱神を祀っています。
勝負師やばくち打ちが、昔から六社大明神に祈願していたことから、必勝、成功、開運、商売繁盛の守護神として崇敬されるようになりました。
当初は、六所神社や六請明神社などと称していましたが、明治6年(1873年)に敷地神社に遷される際に必勝の意によって六勝神社に改称したということです。
開運厄除の八幡神社
六勝神社の右隣に鎮座しているのは、末社の八幡神社です。
祭神は、応神天皇、神功皇后、比売大神(ひめのおおかみ)です。
八幡神社は、九州の宇佐八幡が発祥で、その後、京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に分霊が勧請(かんじょう)され、やがて、全国各地にたくさんの八幡神社が創建されるようになりました。
源氏など武家の崇敬も篤く、開運厄除、必勝のご利益があるとされています。
敷地神社にある八幡神社は、明治40年(1907年)に衣笠氷室町より遷ってきたものです。
海上、農業、鉱山守護の大山祇神社
わら天神の左側にある末社は、大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)です。
祭神は、わら天神に祀られている木花開耶姫命の父の大山祇神(おおやまつみのかみ)です。
木花開耶姫命に一目ぼれした瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に大山祇神は、姉の磐長姫命(いわながひめのみこと)も妻にして欲しいと言いましたが、磐長姫命が醜かったため、瓊瓊杵尊は断りました。
大山祇神は、天子の命が石のように恒久であれと契約して磐長姫命を貢いでいましたが、瓊瓊杵尊に断られたため、その子孫にあたる天皇と人間は、長寿ではなくなったと伝えられています。
瀬戸内海の大三島に鎮座している大山祇神社は、全国の山祇神社と三島神社の総本社であり、敷地神社にある大山祇神社もそのような神社のひとつということです。
ご利益は、海上守護、農業守護、鉱山守護とされています。
綾杉明神
大山祇神社の近くにある杉の木の切り株を覆っている社殿は綾杉明神です。
樹齢千数百年というご神木の綾杉を祀っています。
平安時代に清少納言の父の清原元輔(きよはらのもとすけ)は、以下の歌を詠んでいます。
生ひ繁れ 平野の原の 綾杉よ 濃き紫に 立ちかさぬべく
説明書によると、この歌の現代語訳は以下のとおりです。
赤子よ、綾杉の枝葉が大きく繁るように立派に成長しなさい。濃い紫の袍(ほう)を着られる、三位の位を得られるように。
綾杉は、明治29年(1896年)8月の暴風により倒壊し、地上2メートルほどの幹を残すだけとなりました。
当時すでに多くの人に神木として崇敬されていたことから、この幹に素屋根をかけて、綾杉明神として祀ったということです。
切り株ではなかったんですね。
以上が、敷地神社にある5つの社殿です。
様々なご利益を授けてくれるので、安産祈願以外の目的でも参拝できますね。
なお、敷地神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。