吉田山にある吉田神社の境内には、斎場所大元宮という末社が建っています。
吉田神社には、たくさんの摂社や末社が建てられているのですが、大元宮は他の摂社や末社よりも大きく、ひとつの立派な神社といった感じです。
そして、この大元宮の朱色の鳥居をくぐった先には、まだ背が低い1本の枝垂れ桜が植えられています。
細川幽斎所縁の枝垂れ桜
大元宮の枝垂れ桜は、一重彼岸枝垂れ桜で、幽斎桜という呼び名で親しまれています。
幽斎桜の名前の由来は、細川幽斎からきています。
細川幽斎は、戦国時代の武将で、その子・忠興は細川ガラシャの夫ということで有名です。
幽斎は、戦国武将でありながら、歌道や古典などの文化にも通じていた学者という面も持っていました。
そのため、公家との交わりも深かったとされます。
また、幽斎は、吉田神社の社家である吉田家と血縁関係にあったことでも知られています。
天正8年(1590年)のある日、幽斎の知人であった公家の中院通勝(なかのいんみちかつ)が丹後(今の舞鶴市)に左遷されました。
幽斎は、落ち込む通勝のために吉田山の桜木を丹後に移植し、彼を慰めたと伝えられています。
その時の桜は、舞鶴市の瑠璃寺に今も植えられています。
なお、瑠璃寺の枝垂れ桜については、「プチたび」さんの瑠璃寺の記事で紹介されていますので、ご覧になってください。
2014年12月3日追記:上記WEBサイトは閉鎖しています。
話を大元宮の幽斎桜に戻します。
幽斎桜は、幽斎が通勝のために贈った瑠璃寺の枝垂れ桜の苗木を大元宮に移植したものです。
移植は平成16年(2004年)のことで、吉田氏子講社設立50周年を記念して、瑠璃寺しだれ桜を守る会の役員を通じて苗木をいただき、枝垂れ桜の里帰りが実現したということだそうです。
大元宮のある吉田神社は、春になると幽斎桜はもちろん境内に植えられた複数の桜が開花します。
吉田神社には、大元宮の他にもお菓子の神様を祀る菓祖神社や料理、飲食の神様を祀る山陰神社など、興味深い摂社や末社がたくさんあります。吉田神社に訪れた時は、こういった摂社・末社にも参拝してみてはいかがでしょうか。
また、吉田神社から南の方に行くと金戒光明寺や平安神宮など有名な桜の名所がたくさんあります。
春の花見の季節に京都にお越しになる際は、吉田山から平安神宮あたりを散策コースの予定に入れておいてもいいと思います。
なお、吉田神社の詳細については、下記のページを参考にしてみてください。