カペラ京都の裏に置かれた新道小学校の碑

京都市東山区の建仁寺の西側にカペラ京都というホテルが、2026年3月23日に開業します。

同ホテルが建つ地は、かつて新道小学校(しんみちしょうがっこう)があった場所。

卒業生にとって母校がなくなるのは寂しいでしょうが、ずっと廃墟のように放置されているより多くの旅行者に利用される方が有意義と感じる卒業生もいらっしゃることでしょう。

明治2年に開校した新道小学校

カペラ京都は、京阪電車の祇園四条駅から南東に約5分歩くと到着します。

4階建ての建物は、ホテルとしては低めで、周囲の景観に溶け込みやすい高さ。

カペラ京都

カペラ京都

敷地の南東角に枝垂れ桜が植わっているのを確認。

4月には、この枝垂れ桜を写真に収める観光客が多くなりそうですね。

カペラ京都の西隣には、新しくなった宮川町歌舞練場もあり、2つの建物に挟まれた道はすっきりとして開放的。

宮川町歌舞練場(左)とカペラ京都(右)

宮川町歌舞練場(左)とカペラ京都(右)

落ち着きあるこの道は、歌舞練場やホテルに用がなくても、京都に旅行や観光で訪れたら歩きたくなること間違いなし。

ただ、道はあまり長くなく、1分も歩けば、ごちゃごちゃした通りにでるんですけどね。

その落ち着きある道を北に歩き、カペラ京都の北西角に来ると、「新道小学校の碑」が置かれています。

新道小学校の碑

新道小学校の碑

灰色の石には光沢があり、光の反射の仕方から、建立されて間もないものだとわかります。

石碑には、新道小学校が明治2年(1869年)11月21日に下京区二十六番組小学校として新道通りに正門を設けたことが校名の由来と記されています。

明治と改元して約1年後のこと。

王政復古の大号令が慶応3年(1867年)12月、鳥羽伏見の戦いが翌年1月ですから、まだ江戸時代の名残がある時期に京都では小学校が開校していたんですね。

京都につくられた小学校は番組小学校といい、明治2年3月から12月にかけて次々と開校し、六十四番組小学校までできました。

新道小学校は、その中の二十六番組小学校ということです。

小学校建設の声を上げたのは、画家の森寛斎を中心とした人々で、彼らは、明治になる以前から寺子屋を近代化することを協議していました。

そういうこともあり、京都府に小学校設立の口上書を提出してから間もない期間に64もの小学校を開校できたわけです。

新道小学校の碑をさらに読んでいくと、「開校以来学区民の物心両面の支えと校訓『至誠・自治・力行』のもと教育関係者のたゆまぬ実践により多数の有為なる卒業生を輩出した」と記されていました。

そして、「これからの子供たちの教育充実を願いつつ小中一貫教育である東山開晴館に後を託して平成23年(2011年)3月に輝かしい百四十一年の歴史の幕を閉じた」と続きます。

ちなにに東山開晴館は、ここから南東に約5分歩いた場所に建つ六波羅蜜寺の南側に校舎を構えています。

新しくなった宮川町歌舞練場をちょっとだけ見る

ついでなので、新しくなった宮川町歌舞練場の周囲も、ちょっとだけ歩いてみることに。

宮川町歌舞練場

宮川町歌舞練場

外からだと、ただ壁を見ているだけと思うでしょうが、展示品なんかも見られるようになってますよ。

宮川町歌舞練場の小道

宮川町歌舞練場の小道

写真は撮らなかったので、建物の壁だけしか写っていませんけどね。

カペラ京都と宮川町歌舞練場の間の道は、東山に観光で訪れた際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

そのついでに新道小学校の碑もご覧になってください。

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