1月中旬に京都市東山区の正林寺に参拝した後、渋谷通(しぶたにどおり)を西に下っている途中、三嶋神社の案内を見つけました。
この辺りは住宅街となっていて、神社がありそうな気配はまったくありません。
でも、案内が出ているのなら近くに三嶋神社があるのだろうと思い、矢印が指す方向にある歩いていくことに。
平家ゆかりの地
下の写真に写っているのが、その案内。

三嶋神社の案内
「安産・子授・子頂 鰻生類鎮護祈願 三嶋神社」と書かれていますね。
鰻生類鎮護祈願というのが非常に気になります。
案内から細い下り坂を北に30メートルほど進むと、左手に三嶋神社社務所が見えてきました。

社務所
ごく一般的なお宅に見えますが、灯籠が釣ってあるのを見ると神社と関わりがあることに気づきます。
そして、社務所の向いには、窮屈そうな細長い三嶋神社の境内。

三嶋神社
入り口の朱色の鳥居が、まだ新しい神社と想像させます。
三嶋神社の最寄り駅は、京阪電車の清水五条駅。
駅からは東に徒歩約10分です。
神社の説明書を読むと、狭い境内と真新しい鳥居から想像していたのとは異なり、長い歴史を持っていることがわかりました。
先ほど訪れた正林寺は、平安時代後期の平重盛の小松殿があった地であり、この付近もまた重盛の邸宅があった場所とされています。
北西に10分ほど歩いた辺りも、かつて平家の六波羅第がありましたから、一帯が平家ゆかりの地なんですね。
その平家ゆかりの地に建つ三嶋神社ですから、当然に平家と関係があり、平重盛が創建に関わっています。
後白河天皇の中宮となった平滋子(たいらのしげこ)は、重盛の母時子の妹。
その滋子が、摂津国下郡三嶋江村(現在の大阪府高槻市三嶋江)に鎮座する三島鴨神社に祈願したところ、「汝に男子を授く、よって三島の神をお祀りせよ」との夢告を受け、高倉天皇が誕生します。
これにより、後白河天皇が平重盛に勅命し、永暦元年(1160年)9月に京の巽(たつみ)の方角(南東)の守護神として創建したのが三嶋神社でした。
以来、生命の出生と生育を守護する神さまとして信仰され、治承2年(1178年)5月に高倉天皇の中宮平徳子の安徳天皇安産祈願をはじめ、朝廷の中宮女官の安産祈願所として篤く崇敬されてきたとのこと。
現在の境内からは、そのような立派な由緒があると想像しがたいですね。
入り口に鎮座する狛鰻
それでは、境内に入りましょう。
鳥居の両前には、狛犬ならぬ狛鰻が鎮座していました。
狛鰻も、見た目はまだ新しい感じ。

狛鰻
でも、何故、狛鰻なのか。
その理由は、祭神の大山祇大神(おおやまづみのおおかみ)が山と海を司る神さまで、ウナギが神使とされているからです。
鳥居をくぐった先にも、つるつるの石の上にウナギがいます。

神使 鰻
曲がりくねった胴体と少し上げた顔、そして、黒光りした姿が、本物のウナギのよう。
絵馬も、もちろんウナギを描く徹底ぶり。

鰻の絵馬
絵馬の奥には、両手を回せるかどうかという大きさの遙向石(ようこうせき)が、あぐらをかくようにどっしりと置かれていました。

遙向石
治承4年に牛若丸が、夢の中で白髪の翁から奥州に下るよう神託を受け、目が覚めるとその翁が立っていたところにこの石があったという。
以来、遙向石と呼ばれるようになり、当社に参拝し、子授け、安産の祈願をして、この石に手を触れお腹を撫でると、牛若丸のような立派な子供を授かると信仰されているそうです。
境内の一番奥に建つ本殿も、小ぶりではありますが、割と立派で比較的新しいもののように見受けられます。

本殿
それでは、お参りをしましょう。
本殿のつり灯籠が、ぴかぴかの金色。

つり灯籠
掲示板には、平成15年(2003年)5月26日に秋篠宮殿下が参拝された時の写真が額に入って掲げられていました。
後白河天皇以来の皇室との関係が、今もなお続いていることを物語る1枚。
本殿から境内全体を眺めると、隣の家の庭に祀られた神社と勘違いしそうになりますね。

本殿から見る境内
本殿にお参りを済ませたので、そろそろ三嶋神社から出ましょう。
そうそう、三嶋大神に祈願したらウナギを食すことが禁じられ、祈願成就した後にお礼詣としてウナギを神前に供え、本殿北方に流れる音羽川へ放生しないと禁食が解けないそうですよ。
今は音羽川は枯れてしまったので、鰻絵馬を神前に奉納することで禁食が解かれるとのこと。
次、参拝して絵馬を奉納するまで、ウナギはお預けか。
なお、三嶋神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。