9月19日に平安神宮の神苑を鑑賞した後、南に約10分歩き、京都市東山区の金剛寺に参拝しました。
金剛寺というお寺は、東山区にいくつか建っており、最も有名なのが八坂塔付近に建つくくり猿で知られる金剛寺で通称を八坂庚申堂といいます。
今回参拝したのは、その金剛寺ではなく、三条通沿いに建つ金剛寺です。
本尊は行基作の阿弥陀如来
金剛寺には、地下鉄の東山駅から三条通を東に約3分歩くと到着します。
山門は、両脇の建物に挟まれて押しつぶされそうになっているのを、こらえているかのように見えますね。

山門
歩道から少し奥まっているところに建っているので、お寺の門と気付かず素通りする人が多そうです。
山門をくぐると、参道の左側に「本尊阿弥陀如来 行基剋」と刻まれた石柱が立ち、本堂に行基作の阿弥陀さまが祀られていることをさりげなく教えてくれていますよ。

本尊阿弥陀如来 行基剋
山門は小さく、参道も細かったのですが、境内は意外と広く感じます。
スーパー1店舗分の広さはあるでしょうか。

境内
参道の奥に阿弥陀さまを祀る本堂が建っているのでお参り。

本堂
説明書によると、金剛寺は、天平年間(729-749年)に行基が左京区の東岩倉山の一切経谷(いっさいきょうだに)に創建した阿弥陀堂が起源で上(かみ)の堂とも称したそうです。
石柱にも刻まれているように本尊は、行基が彫った一丈六尺(4.8メートル)の大きな阿弥陀さまで座ると一丈(3メートル)になるとのこと。
応仁の乱(1467年)で荒廃し、焼けたお堂から信者が首だけとなった阿弥陀さまを見つけ出し、粟田に仮堂を建てて蔣(こも)を敷き、その上に阿弥陀さまの頭部像を祀ったとされます。
それが、近くの蹴上に小物座(こものざ)町という地名が残るいわれなのだとか。
その後、慶長7年(1602年)に岌然(きゅうねん)上人が、青蓮院門跡の許可を得て、現在地にお堂を移し寺として再興。
正徳3年(1713年)には本尊が修復され、享保15年(1730年)に本堂も建立され、現在にいたっています。
境内の風景
本堂にお参りを済ませ、境内を散策。
散策といっても、歩ける範囲はテニスコート1面くらいなので、歩き回るようなことはないのですが。
石畳の参道わきには、腰より低い萩が小さな赤色の花を咲かせ、そろそろ見ごろを迎えようとしていました。

萩
中心に円形にくぼみができた石は、手水鉢でしょうか。

手水鉢
大河に沈んでいそうな大きな石ですね。
お寺まで運んだのは怪力の持ち主に違いありません。
参道の西側に建つお堂は観音堂。

観音堂
本堂とともに平成30年(2018年)に暫定登録文化財の指定を受けているそうです。
観音さまにもお参りをしておきましょう。
観音堂の前に植わっている松は、葉が茶色です。

葉が茶色くなった松
このような種類の松かと思ったのですが、ネットで調べると、葉が茶色い松は虫の被害などで病気になっているそうです。
夏の猛暑で元気がなくなり、外敵に弱くなったのでしょうか。
境内の片隅では、タマスダレが手のひらに乗りそうなサイズの白色の花を数輪咲かせていました。

玉簾
萩やタマスダレの花を見ると、秋の到来を感じますね。
金剛寺を出て白川にやって来ました。
透き通る川の流れと枝先を水面にまで伸ばした枝垂れ柳が、浮世絵に描かれていそうな景色を作り出していましたよ。

白川と枝垂れ柳
枝垂れ柳は、4月から5月にかけての黄緑色の姿が美しいですが、初秋の空と一緒に眺める深い緑色も、過ぎ去った夏を情緒的に振り返らせる不思議な魅力を持っていますね。
京都は、これから秋の行楽シーズンへと向かい、大勢の旅行者や観光客の方で賑わい始めます。