9月上旬。
京都市東山区の法住寺に参拝しました。
法住寺は、後白河法皇の院の御所法住寺殿があった地に建っています。
かつては、広大な敷地を有していた法住寺殿ですが、現在の法住寺は、小ぢんまりとしています。
サルスベリが残る
法住寺には、京阪電車の七条駅から東に約7分歩くと到着します。
市バス停「博物館三十三間堂前」からだと南に徒歩約3分です。
近くの赤十字は、工事が行われており、建物が取り壊されていました。
また、北隣に建つ養源院は、この日は拝観を中止していました。
最近の養源院は、拝観日が定めれることが多いので、訪れる前に養源院のSNSで確認しておいた方が良いですね。
法住寺の山門前にやって来ました。
山門をくぐって境内へ。
萩は、花が咲いていませんでした。
法住寺の萩は、6月頃に咲き始めていたので、9月には花が終わるのかもしれませんね。
八重紅枝垂れ桜は、緑色で、夏の姿を留めています。
それでは、不動堂に入り、身代り不動尊にお参りをしましょう。
法住寺は、天台宗のお寺で、永祚元年(989年)に右大臣藤原為光が、その夫人と火山天皇の女御となった娘の忯子(しし)の菩提を弔うために創建したのが始まりです。
寺域は、広大で、北は七条通、南は八条通、東は東山山麓、西は大和大路に及ぶほどだったとのこと。
その後、火災により荒廃し、保元3年(1158年)に後白河天皇が法住寺の地を院の御所と定めました。
現在、法住寺の西に建つ三十三間堂も、法住寺殿の敷地内に造営されたものです。
明治維新後、法住寺の東にある後白河天皇陵が宮内庁所管となったことから、御陵とお寺が別とされ、大興徳院と改められましたが、昭和30年(1955年)に再び法住寺と名を戻しています。
不動堂に祀られているお不動さまは、後白河天皇の守護仏として崇められていたものです。
不動堂から見る境内。
空は、まだ真夏のようであります。
そして、サルスベリもまだ元気に花を咲かせていました。
今年は、9月に入っても猛暑日が続いているためか、サルスベリが元気ですね。
境内の木々の緑も、真夏のまま。
ちょっと歩いただけで汗をかいたので、手水鉢の水で洗い流すことに。
冷たい水が気持ち良いですね。
しかし、その気持ち良さもほんのわずかな時間だけ。
それでも、体の熱が少し冷めたので、法住寺から出ることに。
道路の向こうにもくもくとわき立つ白雲。
空は、まだ8月上旬のようです。
9月上旬の法住寺では、サルスベリがまだ見ごろを保っていました。
参拝者はちらほらといましたが、いつものように境内は静かでしたよ。
この後は、智積院に参拝します。
なお、法住寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。