京都市東山区の円山公園には1本の立派な枝垂れ桜が植えられています。
春、ソメイヨシノよりも少し早めに開花するこの枝垂れ桜は、祇園枝垂れ桜の愛称で親しまれ、京都市民だけでなく国内外からの旅行者にも人気があります。
この祇園枝垂れ桜は、昭和22年(1947年)に枯死した初代の枝垂れ桜の後に植えられた2代目になります。
江戸時代から植えられていた祇園枝垂れ桜
現在の円山公園が造られたのは、明治19年(1886年)です。
江戸時代まで円山一帯は、八坂神社、安養寺、長楽寺、雙林寺の境内地だったのですが、同4年の上知令によりこれらの寺社の手から離れることになりました。
岩波新書の『京都の歴史を歩く』によると、明治6年1月に太政官布告が出て、京都では「八坂社清水ノ境内嵐山ノ類」が「万人偕楽」の地である公園とされたそうです。
明治以降、円山公園は多くの外国人旅行者が訪れるようになり、ホテルも建ち並ぶようになりました。
明治6年に後の京都府知事槇村正直(まきむらまさなお)の顧問であった山本覚馬が作った京都博覧会の英文ガイドブックには、春には円山の料亭から満開の桜を見下ろすことができるとの記述があり、すでにこの頃には円山が桜の名所であったことがうかがえます。
ちなみに山本覚馬は、同志社大学の創立者の新島襄の妻・八重の兄で、会津藩出身です。
初代の祇園枝垂れ桜は、幕末までは祇園社(八坂神社)の執行(しぎょう)であった宝寿院の庭に植えられており、築地塀の外から少しだけ見ることができたそうです。
明治になり、神仏分離令により宝寿院が失われると、祇園枝垂れ桜は、医師で化学者の明石博高(あかしひろあきら)が金五両で買い取り、やがて円山公園を象徴する桜となりました。
もしも、宝寿院が今も存続していたら、祇園枝垂れ桜を間近で見ることはできなかったかもしれません。
そして、初代の祇園枝垂れ桜が枯死した後、2代目の祇園枝垂れ桜が植えられたかどうかもわかりません。
春と初夏の祇園枝垂れ桜
祇園枝垂れ桜は、正式には一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)という品種です。
下の写真のように満開の姿になるのは、毎年3月末から4月初旬です。
夜間にはライトアップされることもあり、その時には、美しい夜桜を楽しむこともできます。
祇園枝垂れ桜が最も美しいのは満開になった時ですが、初夏の新緑に覆われた姿も見事です。
この時期には、円山公園の人が春よりも少なくなっているので、じっくりと祇園枝垂れ桜を見ることができます。
明治以降、円山一帯の風景は江戸時代とは変わったものになりましたが、そのおかげで、今では春に美しい桜を見られるようになったのですから、現代の京都市民や旅行者には良かったのかもしれません。
時代によって景観が変わっていくけども、京都らしさを感じられるのが、京都の特徴です。