3方向から鑑賞できるように設計された二条城の二の丸庭園

京都市内の城で最も有名なのは二条城です。

二条城は、慶長8年(1603年)に徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿所として造営し、3代将軍の徳川家光が、寛永3年(1626年)に完成させました。

その二条城には、二の丸御殿と呼ばれる武家風書院造の建物があり、そして、御殿の西側には二の丸庭園が配されています。

二の丸庭園は、二の丸御殿から鑑賞できるように作庭されていますが、建物がない南側からも鑑賞できる設計となっています。

南側からは鑑賞できない

二条城には、地下鉄の二条城駅から北に3分ほど歩くと到着します。

東大手門で入城料を支払った後、順路に従って進み唐門をくぐった正面に二の丸御殿が建っています。

そして、二の丸御殿の玄関から西に進むと、二の丸庭園の南東にやってきます。

二の丸庭園の南側は、今は芝生が敷かれ、松などの木が植えられています。

南側

南側

一般の拝観者は、芝生の中に入ることはできません。

二の丸庭園は、南側からも鑑賞できる造りとなっていますが、当初から、そのようになっていたのではありません。

寛永3年の後水尾天皇の行幸に合わせて、南側に行幸御殿が建設され、その時に庭園南部の石組に変更が加えられたものと考えられています。

今は、ガイドブックなどの写真でしか、庭園南部からの景色を見ることはできませんね。

大広間と黒書院からの眺め

室町時代から江戸時代初期にかけて成立した武家の邸宅は、平安貴族の寝殿造に対して書院造と呼ばれます。

そして、接客や対面の場である書院から鑑賞できるようになっている庭園を書院造庭園といい、二条城の二の丸庭園は、その代表です。

特別名勝の二の丸庭園は、大広間の西、黒書院の南に位置している池泉式の庭園で、主に大広間から鑑賞するように設計されています。

黒書院(正面)と大広間(左)

黒書院(正面)と大広間(左)

作庭したのは、小堀遠州と伝えられており、池の中央に蓬莱島、その左右に鶴島と亀島を配しています。

また、池には4つの橋が架かり、西南隅には滝もあります。

そして、池の周囲にはたくさんの岩石が置かれています。

大広間付近から西向きに見た二の丸庭園です。

西に見た二の丸庭園

西に見た二の丸庭園

池の周囲の石組が、非常に力強く見えます。

このような豪壮な庭園は、将軍の権威を誇示しているかのように見えます。

特に大広間側から眺めると、庭園が横に広がりを見せ、より大きく、より力強く感じられますね。

こちらは黒書院側から南西に向かって眺めた二の丸庭園です。

南西に見た二の丸庭園

南西に見た二の丸庭園

ここからだと、写真の右側に写っている滝もよく見えます。

大広間からの眺めと比較すると、横幅が狭く感じられることから、幾分落ち着きのある庭園のように見えます。

それでも、敷地が広大なため、黒書院から見ても、大きな庭園であることに変わりはありませんね。

庭園の北の端からは、二の丸御殿の大広間と一緒に鑑賞できます。

大広間と二の丸庭園

大広間と二の丸庭園

ここからの眺めも見事ではありますが、やはり、大広間や黒書院からの眺めと比較すると、やや迫力がなくなります。

二条城は、夜間拝観が実施されることがあり、その際には、ライトアップされた二の丸庭園を鑑賞できる場合があります。

ライトアップされた二の丸庭園

ライトアップされた二の丸庭園

夜間拝観時は、必ず二の丸庭園を見られるわけではありません。

その時の催しによって、二の丸庭園がライトアップされたりされなかったりします。

江戸時代には、ライトアップは行われていなかったでしょうから、夜間拝観は、現代人特有の二の丸庭園の鑑賞の仕方と言えそうですね。

二条城の二の丸庭園は、大広間、黒書院、そして南側の3方向から鑑賞できる造りになっています。

二条城に観光で訪れた際は、大広間付近から西方向、黒書院付近から南方向に二の丸庭園を眺めてください。

南側の芝生に入れる機会があれば、こちらからも二の丸庭園を鑑賞したいですね。

なお、二条城の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

宿泊