8月下旬。
京都市左京区の満願寺に参拝しました。
以前に満願寺に参拝したのは、約2年前のこと。
満願寺は、平安神宮の近くに建っているのですが、参拝する人は少なめです。
あまり人に知られていないお寺ですが、境内には、興味深いものがあるので、岡崎界隈を散策する際は立ち寄りたいですね。
文子天満宮は倒れたまま
満願寺の最寄り駅は、地下鉄の東山駅です。
駅からは、北東に7分ほど歩くと、満願寺の山門前に到着します。
山門には、「示現山」と書かれた額がかかっています。
満願寺は、天慶3年(940年)に右京七条坊の多治比文子(たじひのあやこ)が、菅原道真の霊夢を感じて、朝日寺の最珍とともに一宇を右近の馬場に創建し、道真自作の天満大自在天の像を安置したのが始まりとされています。
道真の霊が示現し、右近の馬場に堂宇が創建され、願がかなったことから、示現山満願寺と称するようになったと伝えられています。
山門をくぐると正面に本堂が建っているので、お参りをしましょう。
本堂の前の文子天満宮は、2018年の台風21号で倒壊したまま再建されていません。
満願寺は、元禄15年(1702年)に当地に移ってきており、本堂や文子天満宮は、そのときのものです。
歴史ある文化財が、一度の台風で失われてしまうのですから、自然の力は恐ろしいものです。
本堂の右前にある石碑は、「妙経万部之塔」です。
これは、日進上人の1万部の法華経読誦の大誓願成就の記念碑です。
境内の南側に植えられている枝垂れ桜は、深緑色の葉をたくさん付け夏の姿となっています。
その近くにある石碑は、鹿ケ谷の変の首謀者とされる俊寛僧都がこの地に住んでいたことを示すものです。
そして、こちらは、名映画監督の溝口健二の碑です。
大映の社長であった永田雅一が、自身の菩提寺である満願寺に建立し、分骨したそうです。
青々としたカエデと手水舎。
この手水舎も元禄15年に移転してきたときのものです。
手水舎の近くの鐘楼も元禄15年のときのもの。
文子天満宮の近くには、小さな祠が建っています。
他にも、小さな社殿が境内の南側に1つ建っていますよ。
そろそろ夏が終わりを迎えようとしていますが、満願寺の境内は非常に暑かったです。
日影が少なかったので、お参りしている間、汗の流れが止まりませんでした。
満願寺は、普段から人が少なく、この日も無人の状態でした。
こうも残暑が厳しいと、お参りどころではないのでしょうね。
この後は、金戒光明寺に参拝しました。
なお、満願寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。