京都市左京区の下鴨神社が鎮座する糺(ただす)の森では、近年、下鴨神社の摂社や末社が建つようになっています。
先日も、下鴨神社に参拝したとき、新たに二十二所社と河崎社(こうさきのやしろ)が建っているのに気づきました。
今回の記事では、この2つの社を紹介します。
二十二所社
糺の森の馬場のちょうど真ん中近くに4つの社が並んでいます。
そのうちの一つが二十二所社です。
二十二所社は、下鴨神社の摂社で、鴨氏二十二譜始祖神を祀っています。
説明書によると、明治10年(1877年)3月21日に摂社七社の内、第六社として制定された社とのこと。
社殿は、第二十三回・正徳元年(1711年)、式年遷宮により造替され、末社の雑太社(さわたしゃ)と相殿になりました。
元々、旧鴨社神宮寺境内に祀られていましたが、創始の年代は不詳だそうです。
社殿の前には、小さな狛犬がいます。
社名は、一時的に日吉社と呼ばれることがありました。
明和7年(1770年)に当時の禰宜(ねぎ)とその子の2代にわたって鴨伝承や歴史的資料、記録類を集成し、寛政11年(1799年)に完成させた「鴨縣纂所」によると、滋賀県の日吉大社に下鴨神社本宮の祭神である玉依媛命(たまよりひめのみこと)と同神が祀られており、この社を遥拝所としていた時期があったそうです。
そのため、日吉社と呼ばれていたのだとか。
同資料では、二十一庚申と記されていますが、これは鴨氏の始祖神のことで、雑太社を相殿に祀ったことから、「二十二所」ではなく、「二十一庚申」としたそうです。
社殿の前にはピカピカの賽銭箱が置かれています。
その奥の板の向こうに社殿が建っています。
戦後、混乱期の式年遷宮事業にあって、遅延した社殿再興が、ようやく第三十四回式年遷宮で造替となりました。
二十二所社は、21年ごとの遷宮に合わせて開帳されるそうですよ。
二十二所社にお参りをしていると、屋根の上に青色の球が乗っているのに気づきました。
とてもきれいな色をしていますね。
河崎社
二十二所社の南隣にあるのが、末社の河崎社です。
朱色の鳥居が数本並んでおり、その奥に板に囲まれて社殿が建っています。
説明書によると、河崎社は、元は、京都大学辺りから田中神社一帯にあった鴨氏の集落の社だったそうです。
社の元の地は、現在の知恩寺付近で、今もなお境内には鴨神社が奉斎されています。
河崎社は、下粟田郷河崎里に祀られていたことから、その名が付きました。
祭神は、下鴨神社に祀られている賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の始祖神です。
応仁の乱(1467年)以降、たびたび戦乱に巻き込まれ、河崎社は壊滅しました。
集落は、鴨社神館御所跡へ移り、河崎社も天明5年(1785年)に御所跡へ遷御します。
しかし、大正10年(1921年)9月に京都市都市計画法によって、河崎社境内が下鴨本通となったため、鴨社神宮寺跡の賀茂斎院歴代斎王神霊社に合祀されます。
そして、平成27年(2015年)の第三十四回式年遷宮事業の一環として、古儀により再興されました。
河崎社の社殿も板に囲まれています。
近くに賽銭箱が設置されていたので、ここにお賽銭を入れて、板の向こうの社に向かってお参りをしました。
糺の森では、近年、摂社や末社が再建されています。
まだ他に再建されるのかどうかはわかりませんが、以前よりも、糺の森は神社らしい景観になっています。
なお、下鴨神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。