七条大橋の矢車模様の高欄

京阪電車の七条駅の改札を出て地上に上がると、西側を鴨川が流れています。

そのため、七条通から西の京都駅に行くためには、鴨川に架かる七条大橋を渡る必要があります。

鴨川には、三条大橋や五条大橋など、多くの橋が架かっています。

三条大橋は、幾度か架け替えが行われていますが、歴史によく登場しており、鴨川に架かる橋の中では有名ですね。

一方、七条大橋も立派な橋なのですが、歴史に登場することが少ないです。

それもそのはず、七条大橋は、近代に架けられた橋なので、京都の長い歴史から見れば、つい最近登場した橋なのです。

京都三大事業に際し架橋

普段は何気なく渡っている七条大橋ですが、ある時、橋の東側に京都市の駒札が設置されているのに気づきました。

その説明書を読んでみることに。

七条大橋

七条大橋

七条大橋は、明治末期に進められた第二琵琶湖疏水の建設、上水道事業、道路拡張及び市電の敷設といった京都三大事業に際し、建設された橋梁とのこと。

明治44年(1911年)11月に着工、大正2年(1913年)3月に竣工した七条大橋は、三大事業による橋梁としては、唯一現存しているものだそうです。

本体の設計は東京帝国大学教授であった柴田畦作(しばたけいさく)、意匠は同大学建築学科出身の建築家であった森山松之助(もりやままつのすけ)らが担当しました。

親柱や金属製高欄は、当時の流行を取り入れた幾何学的な意匠の「セセッション式欧風意匠」が用いられていました。

ただ、金属製高欄は現存していません。

七条大橋は、当時の鉄筋コンクリート橋としては全国的に大規模だったそうです。

三十三間堂の通し矢をイメージした高欄

現在の七条大橋は、橋長82メートル、幅員18メートルの五径間連続の鉄筋コンクリート造アーチ橋となっています。

昭和62年(1987年)に京阪電車の地下化に伴い、鴨川の脇を流れる琵琶湖疏水鴨川運河が暗礁となり、疏水上の一径間が撤去されています。

かつては、現在の川端通を京阪電車が走っていたのですが、それも随分と昔のことになりました。

現在の七条大橋の高欄は、矢車模様となっています。

七条大橋の高欄

七条大橋の高欄

これは、近くに建つ三十三間堂で毎年1月に新成人が行う通し矢をイメージしたデザインとのこと。

高欄が矢車模様となったのも、昭和62年の改修の時です。

七条大橋は、平成31年(2019年)3月29日付で国登録有形文化財に登録されています。

京都市の駒札が設置されたのは、これが理由なのでしょうね。

今では、当たり前のように京都駅から七条大橋を渡って、三十三間堂や智積院といった寺院に多くの旅行者や観光客が訪れています。

もしも、今、七条大橋がなかったら、とても不便でしょうね。

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