1月下旬。
京都市右京区の天球院を訪れました。
天球院は、妙心寺の塔頭(たっちゅう)で、通常は非公開の寺院なのですが、1月10日から3月18日まで、京の冬の旅の非公開文化財特別公開が実施されています。
これまで、天球院には一度も入ったことがなかったので、この機会に拝観することにしました。
狩野山楽と山雪の障壁画
天球院には、JR花園駅から北東に5分ほど歩き、妙心寺境内に入ってから、さらに北に5分ほど歩くと到着します。
京福電車の妙心寺駅からだと、南に5分ほど歩いて妙心寺の北から境内に入れるので、こちらから天球院を目指す方が楽ですね。
その天球院の山門の前にやって来ました。
山門の近くには、拝観受付があるので、ここで600円を納めて山門をくぐります。
細長い参道の先には、弓なりになっている唐破風(からはふ)の屋根を持つ玄関が見えます。
この玄関で靴を脱ぎ、方丈の中に入ります。
外から見た方丈は、このような感じです。
天球院の由緒や方丈内の寺宝については、学生さんがガイドをしてくれました。
なお、建物内は写真撮影禁止なので、ここからは文章で特別公開の内容を紹介します。
方丈は、南側に3室あり、各部屋に狩野山楽とその娘婿の山雪の障壁画があります。
東側の部屋にある障壁画は、籬草花図(まがきそうかず)です。
金色の背景に初夏の朝顔と鉄線が描かれています。
そのため、東側の部屋は、朝顔の間とも呼ばれています。
方丈中央の室中の間には、竹虎図が描かれています。
こちらも背景は金色です。
室内の西側には4頭のトラが描かれていますが、そのうちの1頭はヒョウです。
江戸時代の人は、実際にトラを見たことがなく、狩野山楽と山雪も中国から輸入されたトラの皮から想像しながらトラを描いたそうです。
だから、雌のトラをヒョウ柄に描いたとのこと。
また、4頭のトラの中には眠っているトラもいますが、こちらは山楽が自らを描いたもので、ネコが丸まるようにして眠っています。
この寝ているトラからも、トラの皮やネコを見ながら、実際のトラを想像して描いたことがうかがえますね。
一番西側の旦那の間には、こちらも背景が金色の「梅に遊禽図(ゆうきんず)」が描かれています。
梅の木の枝がS字を描くように独特の伸び方をしており、その根元に鳥がとまっています。
梅に遊禽図の季節は春で、方丈南側の3室は初夏から春までの四季を描いたものとなっているんですよ。
天球院の方丈の障壁画は、一部を除いて複製です。
複製とは言え、本物と見分けがつかないほど精細に描かれています。
キャノンが、一眼レフのカメラで障壁画を分割して撮影し、それを印刷した後、さらに金箔を貼るなどして実物と同じ仕上がりにしているのだとか。
京都の寺院などに保存されている障壁画などは、キャノンの複製品が展示されていることがあります。
東山の建仁寺に保存されている襖絵も、キャノンの複製となっていますよ。
方丈北側の衣鉢(えはつ)の間には、南側3部屋とは異なり、水墨の障壁画があります。
水墨画は、山水人物画で、一部は本物です。
複製の障壁画もあったのですが、どれが本物でどれが複製かを見分けるのは非常に難しいです。
でも、ガイドの方が見分け方を教えてくれたので、今はどれが本物でどれが複製かを当てることができます。
この方法は、他でも使えます。
知りたい方は、ぜひ、天球院を訪れてください。
庭園
障壁画を見た後は、方丈の南側に広がる庭園を鑑賞します。
コケと石組でできた枯山水庭園は、中央のやや東側に植えられた1本の松が目立ちます。
人の頭ほどの石が真っ直ぐに並べられていますが、何か意味があるのでしょうか。
方丈の西側にも、庭園があります。
こちらは、コケが敷かれた部分がこんもりと盛り上がっていましたよ。
西側の庭園を眺めるために方丈の西側の廊下を歩いていたのですが、その天井には血がべったりと付いていました。
そう、天球院の方丈の廊下の天井は血天井なのです。
関ヶ原の戦い(1600年)の直前、伏見城にたてこもった東軍の鳥居元忠は、西軍の攻撃を受けて家臣たちと自害します。
その時、鳥居元忠らの血液が廊下の板に染み込みました。
彼らを弔うために各寺院の天井に使われたのが、伏見城の廊下の板だったんですね。
障壁画と庭園を鑑賞し終えたので、方丈から出ることに。
玄関の花頭窓から南側の庭園を眺めます。
玄関の近くには、ソシンロウバイが植えられており、ちょうど見ごろを迎えていました。
黄色い花をたくさん付けたソシンロウバイ。
これほど見事に花を咲かせたソシンロウバイは、なかなか見ることができませんね。
なお、天球院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。