真如堂にある京都映画誕生の碑

京都市左京区の神楽岡の南東に真如堂(しんにょどう)というお寺が建っています。

正式には真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)といい、春の桜や秋の紅葉が観光客に人気があります。

境内は、日本のお寺らしい建物や石碑がいくつも建っていますが、中にはお寺らしくないものもあります。

例えば、「京都映画誕生の碑」ですね。

本能寺合戦撮影の地

真如堂は、市バス停「錦林車庫前」から西に5分ほど歩いた辺りに建っています。

境内の中央に大きな本堂が建ち、周囲には多くのカエデが植えられています。

その本堂の左前に植えられている夏椿の近くに京都映画誕生の碑が置かれています。

京都映画誕生の碑

京都映画誕生の碑

碑文によると、映画(シネマトグラフ)は、1895年にフランスのリュミエール兄弟によって発明され、2年後の1897年に実業家の稲畑勝太郎が日本に持ち込んだそうです。

そして、初めて映画が上映されたのが、ここ京都だったのです。

当初の映画は、すでに存在する被写体を撮影した今日でいう記録映画でしたが、スクリーン上に動く映像は、観る人々を魅了したとのこと。

映画が日本に輸入されて11年後の1908年。

横田永之助の依頼を受けた牧野省三が、シネマトグラフを用いて歌舞伎の劇映画化に挑戦します。

歌舞伎の発祥の地は京都で、その創始者である出雲阿国の像が今も四条大橋の近くにありますし、南座もその近くに建ってますね。

牧野省三は、歌舞伎という京都の伝統芸能を映画という新しい時代の科学技術と結びつけ、京都の映画を誕生させました。

それ以来、京都では多種多様な映画が制作されることになります。

太秦(うずまさ)に映画村があるのも、京都で大量の映画が創られるようになったからなのでしょうね。

碑文には、映画が「京都がもつ伝統芸能の力、伝統工芸の力、歴史都市京都の歴史的景観等々、まさに、京都の文化力に培われたものであり、それが1世紀間の時を経て京都の文化」となったことが記されています。

当該石碑は、京都で劇映画が創られて100年目の2008年10月1日に「京都・映画100年宣言」プロジェクト推進協議会によって建立されました。

真如堂に建立されたのは、牧野省三が、その第1作「本能寺合戦」を撮影したのが、ここ真如堂境内だったからということです。

ちなみに牧野省三の像は、京都市北区の等持院にありますね。

京都は、ドラマや映画のロケ地となることが多く、特に時代劇は京都の歴史ある寺社でよく撮影されます。

もしも、牧野省三が歌舞伎を映画化しなければ、今ほど京都がドラマや映画のロケ地に使われることはなかったかもしれませんね。

なお、真如堂の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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