京都にある徳川時代の銀座と金座の跡

東京の有名な繁華街に銀座があります。

東京に限らず、他の地域でも銀座と名の付く繁華街がいくつもありますね。

現在では、銀座は栄えている場所に使われる地名という印象があり、東京の銀座がその元祖のように思われている方が多いでしょう。

ところが、銀座発祥の地は京都市伏見区で、現在の京阪電車伏見桃山駅を出てすぐの場所が銀座町と呼ばれています。

徳川家康が作った銀座

京都に銀座を作ったのは徳川家康です。

慶長6年(1601年)に徳川家が伏見に銀貨鋳造所を作ったのが銀座の始まりです。

しかし、伏見の銀座は、慶長13年に移転します。

移転先は、伏見の銀座から両替町通を北にまっすぐ進んだ中京区の御池通の北側です。

現在、この辺りは京都国際マンガミュージアムが建っていますね。

中京区の両替町通には、「此附近 徳川時代銀座遺址」と刻まれた石碑が立っています。

此附近 徳川時代銀座遺址

此附近 徳川時代銀座遺址

以前に紹介した書籍「京都 知られざる歴史探検」によると、銀座が中京区に移る少し前の慶長11年には、徳川家康が晩年を過ごした駿府にも銀座が設けられ、同17年に江戸に移転したそうです。

また、慶長13年と19年には、大坂と長崎にそれぞれ京都銀座の出張所も設けられています。

京都の銀座での銀貨鋳造は、寛政の改革(1800年)以降は行われなくなり、銀道具や銀箔材料としての南鐐(なんりょう)の受け渡しのみを行い、明治元年(1868年)に廃止されました。

ちなみに南鐐とは、江戸時代の二朱銀のことで、1両の8分の1の価値がありました。

金座もあった

徳川時代銀座遺址の石碑から少し北に歩くと、「此附近 徳川時代金座遺址」と刻まれた石碑も立っています。

此附近 徳川時代金座遺址

此附近 徳川時代金座遺址

金座も、徳川家が作った貨幣鋳造所で、ここではその名のとおり金貨が作られていました。

成立年代は慶長年間ですから、銀座が作られたのと同じ時代ですね。

堺、大阪、伏見から金屋、金吹きが集められ、幕府御用達商人筆頭の後藤庄三郎が金座の御用改係をつとめ、役所が置かれました。

しかし、金座も銀座同様に寛政の改革以降は貨幣鋳造が行われなくなり、御所御用箔、京坂金職の取り締まりのみをするようになります。

そして、明治元年に廃止されました。

銀座は東京の銀座が有名ですが、発祥の地は京都だったんですね。

伏見の銀座の辺りは、今も大手筋商店街が賑わっていますが、中京区の銀座があった両替町通には、あまりお店が並んでいません。

京都では、銀座跡に繁華街を作ろうという動きはなかったのでしょうか。

なお、この記事では、京都市のサイトの以下のページを参考にしています。

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