伏見稲荷大社の玉山稲荷社、白狐社、大八嶋社

京都市伏見区に建つ伏見稲荷大社は、たくさんの鳥居が建ち並ぶ千本鳥居が有名で、特に外国人旅行者に人気があります。

また、伏見稲荷大社の境内には、稲荷神のお使いとされるキツネも多く、こちらも参拝者に人気がありますね。

伏見稲荷大社で多いのは、鳥居やキツネだけではありません。

摂社や末社も、数えきれないほどたくさん建っています。

今回の記事では、伏見稲荷大社にたくさんある摂社や末社の中から、玉山稲荷社、白狐社(びゃっこしゃ)、大八嶋社の3つを紹介します。

玉山稲荷社

伏見稲荷大社の本殿の北側にある社務所から石段を上った先に建っているのが玉山稲荷社です。

玉山稲荷社

玉山稲荷社

祭神として祀られているのは、玉山稲荷大神です。

この社殿は、もとは東山天皇の宮中に奉祀されていましたが、天皇の崩御の後、天皇に仕えていた松尾月読神社の社家松室重興が預かりました。

その後、左京区の高野の私邸内に遷座し、明治7年(1874年)に諸般の都合により、伏見稲荷大社に遷座されたそうです。

白狐社

玉山稲荷社からさらに石段を上り、奥宮まで来ると、その隣に白狐社が建っています。

白狐社

白狐社

祭神として祀られているのは、命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)です。

稲荷神のお使いのキツネは、眷属(けんぞく)と呼ばれています。

その眷属を祀る唯一の社が白狐社で、かつては奥之命婦や命婦社とも呼ばれていました。

以前は、玉山稲荷社の近くに建っていたのですが、元禄7年(1694年)に現在地に移されています。

現在は、稲荷神のお使いはキツネとされていますが、伏見稲荷大社が創建された奈良時代には、両者には何の関係もありませんでした。

井沢元彦さんの「逆説の日本史〈別巻3〉ニッポン『三大』紀行」によると、稲荷神のお使いをキツネとする民間信仰がおこったのは中世からだそうです。

稲荷神は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)のことで別名を御饌津神(みけつかみ)といいます。

この御饌津神をキツネの古名が「ケツ」であったことから三狐神(みけつかみ)と表記したことが、キツネが稲荷神のお使いとなった原因だそうです。

稲荷神とキツネとの間には、きっと深い関係があるのだろうと思っていましたが、単なるダジャレだったんですね。

大八嶋社

大八嶋社は、お山めぐりの出口付近に建っています。

大八嶋社

大八嶋社

祭神として祀られているのは、大八嶋大神です。

大八嶋社の鳥居から奥を覗いても建物が見えません。

大八嶋社は、古来社殿がなく、盤境をもって神鎮まります清浄の地とし、朱色の玉垣で囲い禁足地としているのだとか。

旧社家の秦氏の伝によれば、往古山上の荒神峰に祀られていた地主神を現在地に鎮めたとされています。

また、旧社家荷田(かだ)氏の伝では、祖神龍頭太(龍の頭を持つ翁神)に関わりのある所とも伝えられています。

社殿がない社というのは珍しいですね。

伏見稲荷大社には、多くの摂社や末社が建っています。

稲荷山を登るほどにそれらの数は増えていきますね。

興味がある方は、全ての摂社と末社にお参りをしてください。

でも、数が多すぎるので、全てにお参りをするのに1日かかりそうですよ。

なお、伏見稲荷大社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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