夏に参拝すると鳥肌が立つほど涼しくなる崇道神社

京都の夏は、とても暑いです。

だから、夏に観光で京都を訪れる方は少ないですね。

でも、夏に涼しい気分になれるのも京都です。

京都には多くの心霊スポットがあり、どのような言い伝えがあるのかを事前に知ってから現地に行くと、背中がゾクゾクするほど涼しくなります。

京都市左京区の崇道神社(すどうじんじゃ)も、そんな夏に涼しくなれる恐怖スポットのひとつです。

早良親王の霊気を感じる境内

叡山電車の三宅八幡駅から高野川沿いを東に5分ほど歩くと、木々が鬱蒼と茂った場所があります。

いかにも幽霊が出そうな薄暗さ。

そこが、崇道神社の参道の入り口です。

参道

参道

崇道神社に祀られているのは、早良親王(さわらしんのう)です。

延暦3年(784年)。

桓武天皇が長岡京遷都を決定し、現在の向日市と長岡京市に都の造営を開始しました。

その造営計画の最高責任者となったのは藤原種継でしたが、延暦4年に何者かの手によって暗殺されます。

桓武天皇は、犯人を以前から藤原氏と仲が悪かった大伴継人(おおとものつぐひと)の一族と決めつけ、関係者数十人をすぐに処刑しました。

さらに桓武天皇は、実弟の早良親王も事件に関与したと疑います。

そして、早良親王は捕えられて、淡路島への島流しが決定されました。

その途中、早良親王は乙訓寺(おとくにでら)に幽閉されます。

乙訓寺で早良親王は、一切の食を絶って自分は無実だと訴え続けました。

それでも早良親王の訴えは桓武天皇に聞き入れられず、親王は餓死してしまいます。

早良親王が亡くなっても桓武天皇の怒りはおさまりません。

天皇は、餓死した親王の罪を許さず、それどころか屍を淡路島に流しました。

これが早良親王の怨霊が暴れ出す原因になります。

親王の死後、桓武天皇の周りで不吉なことが立て続けに起こりました。

延暦5年には妻の旅子の母が亡くなり、翌年には旅子も死を迎えます。

さらに延暦8年には、桓武天皇の母の高野新笠(たかののにいがた)も、この世を去りました。

他にも、皇后の乙牟漏(おとむろ)、皇太子の安殿親王(あてしんのう)も謎の死を遂げます。

また、この頃、疫病の大流行もあり、多くの人々が病死しました。

桓武天皇はこの異変が何なのかを陰陽師に占わせます。

すると、陰陽師は異変の原因は早良親王の崇りだと言いました。

早良親王の怨霊が、身の回りの異変の原因だとわかった桓武天皇は、淡路島に勅使を送って参拝させました。

それでも桓武天皇は早良親王の怨霊におびえ、長岡京から逃げるように平安遷都を決定します。

さらに早良親王に崇道天皇の追号を送り、崇道神社を建立して怨霊を鎮めることにしました。

しかし、早良親王の怨霊は、それでも暴れつづけ長期に渡って桓武天皇を悩まし続けたのです。

崇道神社の参道を歩いていると、木々の間からひんやりとした風が吹いてくることがあります。

それが、まるで早良親王が息を首筋に吹きかけてくるような感じでゾクっとします。

参道の奥の石段上に崇道神社の社殿があります。

社殿

社殿

ここまで来て、本殿に参拝せずに帰ったら早良親王に祟られそうですから、しっかりとお参りしておきましょう。

昼間でさえ薄暗い境内ですから、夜に参拝すると真っ暗で怖そうです。

夏に背筋がゾクッとする涼感を味わいたい方は、崇道神社に参拝してはいかがでしょうか。

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