1月下旬に京都市左京区の岡崎別院を訪れました。
隣には岡崎神社が建っていて、こちらでは参拝者を見かけることがあるのですが、岡崎別院にお参りする人はあまり見かけません。
私も、これまで素通りしていたんですけどね。
でも、一度くらいはお参りしておこうと思い、近くを通りかかったことから境内に入ることに。
親鸞屋敷とも呼ばれていた
岡崎別院は、地下鉄蹴上駅から北西に15分ほど歩いた辺りに建っています。
入口には、「親鸞聖人御草庵遺蹟」と刻まれた石碑が立っています。
岡崎別院は、真宗大谷派(東本願寺)宗史蹟第二号で、浄土真宗の開祖親鸞聖人が法然上人の吉水の禅坊に通われた頃、草庵を結んだ場所とのこと。
そのため、岡崎別院は親鸞屋敷とも呼ばれていました。
江戸時代に入ると、東本願寺20代達如(たつにょ)の頃に岡崎御坊と呼ばれるようになり、明治9年(1876年)に岡崎別院となりました。
境内は外から見るよりも広く、門から本堂まで50メートルほどの距離があります。
まずは本堂にお参り。
本堂の左には、鏡池(姿見の池)があります。
親鸞聖人が承元の法難の折、自らの姿を鏡池に映し、越後に旅立ったと伝えられています。
鏡池の近くには、八房の梅と呼ばれる梅が植えられています。
まだ1月ということもあり梅の花は咲いていませんでした。
ちなみに初代の梅の木は、親鸞聖人のお手植えだと伝えられています。
八房の梅の下では、マンリョウが赤い実をたくさんつけていましたよ。
庭園鑑賞
一通り、境内を見たので岡崎別院から出ようと思ったら、庭園の入り口を示す看板があることに気づきました。
境内を見回しても、庭園があるようには思えないのですが、とりあえず矢印の指す方に向かって歩きます。
建物と建物の間を抜けると庭園が現れました。
ひっそりと隠れるように造られている庭なので、案内が出ていなければ絶対に気づきませんね。
岡崎別院の庭園は中央に池が配された池泉式庭園です。
池の向こう側に渡るために架かっている朱色の橋は必度橋。
昭和44年(1969年)に専修学院学院長の信國淳師が命名したとのこと。
「必度」は、「善導大師の二河喩」からのもので、「すでにこの道あり、必ず度すべし」を願とするそうです。
なお、現在の必度橋は平成21年(2009年)に修復されたものです。
冬の池泉式庭園は、やはり見ているだけで寒く感じますね。
夏だと、きっと涼しく感じることでしょう。
池のほとりには、2階建茶室の延賞台の跡地があります。
茶室は、第2室戸台風で倒壊したそうです。
以降、再建されていませんが跡地だけはこうして残されています。
スイセンの花を発見。
少し咲く時期が早いですね。
池の北側には東屋も設置されています。
春から夏にかけて、この東屋の中から見る庭園はきれいでしょうね。
また、その頃にお邪魔させてもらいましょう。
なお、岡崎別院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。