今も昔も京都経済の中心だった四条烏丸

京都の歴史といった場合、多くの人が平安京以降を思い浮かべるのではないでしょうか。

でも、京都が歴史的に注目が集まるのが平安時代以降ということであって、それ以前には京都に何もなかったわけではありませんし、人が住んでいなかったわけでもありません。

現在、京都の経済の中心となっているのは四条烏丸で、この辺りには多くの金融機関が建ち並んでいます。

全国的に有名な銀行や証券会社の他にも、京都に特化した会社なんかもありますね。

四条烏丸の発展は、近代からではありません。

実は、平安遷都(794年)以前から、四条烏丸は京都の中心として栄えていたのです。

長刀鉾町遺跡からわかった古代人の生活

昭和57年(1982年)に四条烏丸の銀行の建て替え工事に伴って行われた発掘調査で、弥生時代の住いや溝などの遺構が発見され、そこからは大量の土器や石器も見つかりました。

この遺跡は、阪急烏丸駅の北にある長刀鉾町で出土したことから、長刀鉾町遺跡と名付けられました。

四条烏丸に建つ長刀鉾

四条烏丸に建つ長刀鉾

この時発掘された住居跡から、遺跡は弥生時代全般を通じて継続的に使われていたことがわかっています。

四条烏丸から東に15分ほど歩くと鴨川が流れています。

多くの文明は川の近くで発達したことを考えると、四条烏丸も鴨川の流れによって発展したのでしょう。

古代人が生きていくために必要な食べ物を獲得できたのは、鴨川が氾濫することによって肥沃な大地がその周辺に広がり、農作物の栽培がうまくいったからなのかもしれませんね。

四条烏丸から少し北に行くと六角堂が建っています。

六角堂にはへそ石と呼ばれる石が地面に埋まっており、そこが京都の中心といわれています。

六角堂を建立したのは、聖徳太子と伝えられています。

このお寺が京都の中心とされたのは、それ以前から、周辺が人々で賑わっていたからなのかもしれません。

京都の三大祭のひとつである祇園祭の前祭山鉾巡行の出発地点が四条烏丸であることからも、昔からここが京都人の活動の中心だったのではないでしょうか。

平安時代には、四条烏丸から烏丸御池の辺りは貴族の邸宅が建ち並ぶ高級住宅街でした。

また、時代が下って江戸時代になると、四条烏丸には町家が密集するようになり、町衆たちで賑わいました。

そして、今では、金融機関が建ち並ぶビジネス街となり、道路はいつも車で渋滞しています。

現在、四条烏丸は京都経済の中心となっていますが、それは、昔からこの地で、京都人が経済活動を行ってきた延長なのですね。

今後も、四条烏丸が京都経済を支える中心として栄え続けることでしょう。