京都市北区に上賀茂神社という神社があります。
また、そこから数キロ南下すると下鴨神社という神社があります。
両者を合わせて賀茂社というのですが、2つの社名を見て気付くことはないですか?
上賀茂神社は「賀茂」と表記し、下鴨神社は「鴨」と表記していますよね。
この違いは一体どういう意味があるのでしょうか。
賀茂社の勢力拡大から2つに分かれる
上賀茂神社も下鴨神社も元は同じ場所にあり、賀茂社といいました。
今でも両社を総称して賀茂社といいます。
元はひとつだった賀茂社は、奈良時代にはすでに存在していたといわれています。
平安遷都よりもかなり前から京都に鎮座していたわけですね。
賀茂社は、現在の上賀茂神社の地に賀茂別雷神(かもわけいかずちのかみ)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、賀茂角身命(かもたけつぬみのみこと)の三柱を祭神として祀っていました。
その昔、玉依姫命が瀬見の小川で遊んでいたところ、川上から丹塗りの矢が流れてきたので、それを床に置いて寝たところ、懐妊したと伝えられています。
その子が賀茂別雷神です。
賀茂別雷神が、成人した時、祖父の賀茂角身命が盛大な祝宴を催しました。
その席で賀茂角身命は、賀茂別雷神に盃を渡して自分の父と思う人に酒を注ぐようにと言います。
すると賀茂別雷神は天を仰いで、その後、昇天したと伝えられています。
現在、賀茂別雷神は上賀茂神社に祀られており、玉依姫命と賀茂角身命は下鴨神社に祀られています。
では、どうして当初は同じ地に祀られていた三柱の神が、2ヶ所に分けて祀られるようになったのでしょうか。
それは、一言でいうと賀茂社が強大な力を持ちすぎたからです。
これについては、瓜生中氏の著書「知っておきたい日本の神話」で以下のように述べられています。
奈良時代以前に賀茂社は強大な勢力を誇るようになった。そのような賀茂社の勢力の拡大に脅威を抱いた朝廷は、文武天皇(六九七~七〇七)の時代に現在の上賀茂神社の数キロ下流に下鴨神社を創建することで、氏子の勢力を二分したのである。
時の権力者が、他人が大きな力を持つことに警戒をするというのは、今も昔も同じということですね。
もともとは両社とも「鴨」の字を使っていた
賀茂社が南北に分断されたことで、北が上賀茂神社、南が下鴨神社と呼ばれるようになりました。
でも、当初は、両社とも「鴨」の字を使っていたそうです。
これについても前掲書に以下のような記述があります。
もともとは「鴨」の字を用いていたようだが、神亀3年(726年)に中国の慣習にならって地名を嘉名(縁起の良い字)でつけるようになってから「賀茂」と改められたという。以降、両者を区別するために下社には「鴨」の字を用い、上社には嘉名の「賀茂」を用いるようになった。
なるほど、そういう理由があったわけですね。
ちなみにこちらが上賀茂神社です。
そして、こちらが下鴨神社です。
上賀茂神社と下鴨神社の違いと似たような話が他にあります。
それは、賀茂川と鴨川の表記です。
京阪電車の出町柳駅より北を流れている賀茂川が、ここで高野川と合流すると、鴨川に表記が変わります。
高野川と合流する前と後でわかりやすく表記を変えたのかなと思っていたのですが、実は、上賀茂神社と下鴨神社の表記を区別するようになってから、上流を賀茂川、下流を鴨川と区別したようです。
神社の表記が川の名前にも影響を与えたというのは、なかなか興味深い話ですね。
なお、上賀茂神社と下鴨神社の詳細については以下のページを参考にしてみて下さい。