京都市上京区の北野天満宮の境内の西側に観音寺というお寺が建っています。
神社にお寺があったり、お寺に神社があったりすることはよく目にすることなので、北野天満宮に観音寺があることは、特に不思議ではありません。
ただ、全く不思議ではないかというと、そうでもなく、観音寺には、土蜘蛛灯籠という変わったものが置かれています。
源頼光の土蜘蛛退治
由緒書によると、観音寺は、元々、北野社の神宮寺で14世紀中ごろに無人如導が中興、17世紀初期に豊臣家が北野社を復興した時に当寺も整備されたそうです。
本堂が建てられたのは17世紀前期で、その後、元禄7年(1694年)に本堂正面に礼堂(らいどう)と造合(つくりあい)が増築されています。
土蜘蛛灯篭があるのは、境内の南側です。
下の写真に写っているのが、それです。
平安時代中期。
大江山の鬼の酒天童子を退治したことで知られている源頼光が病気になります。
そこに怪しい僧が現れ、頼光に襲いかかります。
頼光は、病気にも関わらず、名刀で斬りつけると、僧は逃げて行きました。
翌日。
頼光が、僧の血痕を追って行き、北野神社の裏手で巨大なクモを発見しました。
そして、その巨大なクモを退治すると、頼光の病気も治ったと伝えられています。
土蜘蛛灯籠の説明書によると、土蜘蛛が住んでいたとされる場所は、北野天満宮の南東の七本松通一条だったそうです。
明治時代にこの塚を発掘したそうですが、特に大したものは出てこなかったとのこと。
この時、発掘されたものの中には、灯籠の火袋もあり、それをある人が、庭に飾っていると家運が傾いたことから、土蜘蛛の祟りと言われ、観音寺に奉納され、現在に至っています。
家運が傾く祟りとは、恐ろしいですね。
あまり近付かない方が良さそうです。
ただ、近付きたくても柵があるので、遠くから見るだけなのですが。
なお、源頼光の土蜘蛛退治には、他の話もあります。
その話は、南北朝時代に書かれた土蜘蛛草子に書かれているもので、源頼光と渡辺綱(わたなべのつな)が土蜘蛛を退治するというものです。
詳しい内容については、「平安京探偵団」というWEBサイトの下記ページに掲載されていますので、ご覧になってください。
京都には、様々な妖怪退治の伝説が残っています。
源頼光の土蜘蛛退治もその中のひとつですね。
なお、北野天満宮の詳細については、以下のページを参考にしてみてください。