京都市左京区の修学院離宮の南、曼殊院の北に音羽川という川が流れています。
その音羽川の脇には、雲母坂と呼ばれる坂道があります。
雲母坂と書いて「きららざか」と読みます。
都と比叡山を結ぶ主要ルート
雲母坂は、平安時代から都と比叡山を結ぶ主要ルートとして賑わいました。
都から勅使が比叡山に向かう際に通ったことから勅使坂とも呼ばれていたそうです。
雲母坂の名は、付近の花崗岩に含まれる雲母がきらきらと光っていたことが由来とか。
修学院の南に「きらら坂 登山口」という標識が立っています。
どうやらここが雲母坂のスタート地点のようです。
坂道は、音羽川に沿うように続いています。
比較的ゆるやかな坂道です。
スタート地点から100メートルほど上ると雲母橋が、音羽川に架かっています。
雲母橋の前にある説明書によると、昭和47年(1972年)9月の台風20号による音羽川の水害を契機に砂防ダムを整備し、平成4年度(1992年度)から砂防学習ゾーンとして環境整備が行われ、雲母橋が設置されたということだそうです。
見た目は古そうな橋なので、かなり昔から架かっているように見えたのですが、意外と新しかったんですね。
雲母橋を渡ってすぐの場所には、親鸞聖人の旧跡を示す石碑があります。
浄土真宗の開祖の親鸞は、比叡山で修業した後、100日間、毎夜、比叡山から六角堂に通い、夜明け前には比叡山に戻るという百日参籠を行いました。
その時、比叡山から都に行くために通ったのが、この雲母坂だったのです。
六角堂に通い続けること95日目。
親鸞は、六角堂の本尊より、「法然の許に行け」というお告げを授けられたと伝えられています。
実際に雲母橋から比叡山に歩いて行くには、どれくらいの時間がかかるのでしょうか。
「新・独坐大雄峰」さんの下記記事によると上りは、約70分のようです。
また、下りは、「中高年の山旅三昧(その2)」さんの下記記事によると約80分かかるそうです。
さらに雲母橋から六角堂までは、地図で見た感じでは6kmほどあります。
なので、比叡山から六角堂まで歩いて行くとなると3時間はかかると考えられます。
しかも、往復なので、親鸞は、100日間、毎夜6時間も歩いていたことになりますね。
その体力と精神力に感服します。
親鸞のように100日間も雲母坂を往復することは難しいですが、比叡山に参拝した後、帰りだけ徒歩で下山してみるのも良いですね。