嵯峨野で発見!小倉あん発祥の地
小倉あんは、日本人なら誰もが一度は口にしたことがある食べ物ではないでしょうか。 俗にアンコと呼ばれている小倉あん。 日本で誕生したというのは、なんとなくわかりますが、いつ頃、どこで作られたのかと尋ねられて、すぐに答えられる人は少ないでしょう。 実は、小倉あんの発祥の地は京都です。 それも観光地として賑わっている嵯峨野なのです。
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小倉あんは、日本人なら誰もが一度は口にしたことがある食べ物ではないでしょうか。 俗にアンコと呼ばれている小倉あん。 日本で誕生したというのは、なんとなくわかりますが、いつ頃、どこで作られたのかと尋ねられて、すぐに答えられる人は少ないでしょう。 実は、小倉あんの発祥の地は京都です。 それも観光地として賑わっている嵯峨野なのです。
前回の記事では、京都観光の定番コースのきぬかけの道から少し離れた等持院を紹介しました。 今回の記事は、その続きというか、きぬかけの道沿いの仁和寺の拝観を終えた後に時間が余っていたら訪れてみたい3つの寺社を紹介したいと思います。
京都市右京区のJR花園駅から5分ほど北東に歩いたところに妙心寺というお寺が建っています。 妙心寺は、とても広いお寺です。 北区の大徳寺もなかなか広いお寺ですが、妙心寺も同じくらいの広さはあるのではないでしょうか。 境内全てを散策するとなると相当時間がかかりますね。
蚕の社。 「かいこのやしろ」と読みます。 蚕の社は、京都市右京区に建っている神社で、京福電車の蚕ノ社駅から5分ほど歩いた場所にあります。 この神社には、変わった鳥居があるということなので、その鳥居を見に行ってきました。
京都市右京区のJR花園駅からすぐの場所に建っている法金剛院は、夏になると庭園にハスの花が咲くことで知られています。 世界中のハスが集められていることから、法金剛院は「蓮(はす)の寺」ともいわれています。 ということで、7月中旬に法金剛院のハスを観に行ってきました。
驕る平家は久しからず。 寿永2年(1183年)7月、かつて栄華を極めた平家が、都から落ちていくことになりました。
鎌倉時代が終わり(1333年)、その後に訪れたのが、朝廷が北朝と南朝に分裂して争う南北朝時代でした。 50年もの長きにわたって南北朝の争乱が繰り広げられたのは、後醍醐天皇に対立した足利尊氏が、光厳天皇(こうごんてんのう)を北朝の初代天皇として擁立したことが原因とされています。 しかし、実は、足利尊氏が北朝をつくる以前から、南北朝の争乱の火種は皇室にくすぶっていたのです。
平安時代末期、祇王という白拍子がいました。 白拍子とは、当時の男性の恰好をして、歌を歌ったり、舞を披露する女性のことです。 祇王は、白拍子の中でも歌や舞がとても上手だったので、当時の都では、その名が知られていました。
京福電車の嵐山駅から竹林に囲まれた道を少し歩いたところに野宮神社(ののみやじんじゃ)という神社が建っています。 この付近は、拝観料を納めなければ入ることができない寺社が多いのですが、野宮神社は無料で参拝できます。 なので、嵐山に観光や旅行で訪れた際には、野宮神社に参拝しておくといいでしょう。
京福電車には、車折神社(くるまざきじんじゃ)という駅があります。 その名のとおり、この駅を出てすぐのところには、車折神社という神社が建っています。 この神社は、境内に芸能関係者御用達の神様が祀られていることで有名です。