
清水の舞台の屋根に降り積もった雪・清水寺
2014年2月14日は、全国で記録的な大雪となりました。 京都も、いつ以来の大雪だったか、思い出せないほどの降り方でしたね。 なので、京都各地では、滅多に見ることができない雪景色を見ることができました。 私は、15日に清水寺の雪景色を見てきました。 今回の記事では、その様子をお伝えします。
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2014年2月14日は、全国で記録的な大雪となりました。 京都も、いつ以来の大雪だったか、思い出せないほどの降り方でしたね。 なので、京都各地では、滅多に見ることができない雪景色を見ることができました。 私は、15日に清水寺の雪景色を見てきました。 今回の記事では、その様子をお伝えします。
1月中旬。 少しずつ京都の町から正月気分が抜け始めている頃、東山区の八坂神社を訪れました。 特に目的はなかったのですが、近くを通りかかったので、ちょっと覘いてみようと境内に入ることにしました。
毎年、1月17日は初観音です。 初観音は、17日から18日にかけて観音様にお参りをするものです。 正月の初詣と比較すると、初観音の参拝者は少なめですが、それでも、他の日と比べると、多くの人でにぎわいます。 ということで、1月17日に京都市東山区の六波羅蜜寺に観音さまを拝んできました。
2014年の元日は、いろんな神社に初詣に訪れました。 今年は、厄除の神社にもお参りをしておこうと思い、向かったのが京都市東山区の新日吉神宮(いまひえじんぐう)です。
元日に豊国神社に初詣に訪れました。時刻は正午前。 豊国神社は、豊臣秀吉を祀っている神社ということで、開運出世のご利益を授けてくれます。 今まで初詣で豊国神社にお参りしたことはありません。 今回、参拝しようと思ったのは、正月の三箇日は本殿にお参りできるということを以前に書いた記事にコメントしてくれた方がいらっしゃったからです。 その時、コメントしていただいた方には大変感謝しています。
元弘3年(1333年)5月に六波羅探題が滅亡した後、足利高氏、千種忠顕(ちぐさたたあき)、赤松円心が京都に留まります。 まだ、後醍醐天皇の還幸前だったので、戦後の混乱から京都の治安が悪化することを防ぐためでした。 そして、足利高氏は、六波羅に奉行所を置き、弟の直義に強盗などの街の治安を乱す者たちの取り締まりを命じ、捕えたものには厳罰を与えるように指示しました。
久我畷の戦いで名越高家を討ち取った赤松円心の軍勢は、その後、足利高氏、千種忠顕(ちぐさただあき)とともに3方向から六波羅探題を攻撃します。 六波羅探題にとっては、味方だと信じていた足利高氏が裏切ったことで、劣勢となります。 元弘3年(1333年)5月6日。 足利高氏の裏切りを知った京都市民は、都が戦場になることを恐れて逃げまどい、町は混乱していました。
元弘2年(1332年)に楠木正成が天王寺で討幕のために挙兵し、その後、11月には護良親王(もりながしんのう)も吉野で挙兵しました。 これに対して、鎌倉幕府も楠木正成がたてこもる赤坂城と千早城、護良親王がたてこもる吉野へ大軍を動員し、反乱を鎮めようとします。 幕府軍が、楠木正成と護良親王に手を焼いている間、今度は、元弘3年1月に赤松円心が播磨で挙兵しました。
地下鉄五条駅を出ると烏丸五条の交差点です。 この交差点の北西の角に悪王子町という町名が残っています。 また、五条駅からひとつ北にある四条駅の東には、元悪王子町という地名も残っています。 悪王子町と元悪王子町。 何か関係があるのでしょうか?
京都市東山区に建つ泉涌寺(せんにゅうじ)には、天智天皇からの歴代天皇の御尊牌を奉祀している霊明殿という建物があります。 現在の霊明殿は、明治17年(1881年)に明治天皇によって再建されたものです。 泉涌寺は、御寺(みてら)とも呼ばれており、皇室の菩提所として篤く信仰されてきたお寺です。 なので、霊明殿には、天智天皇からの歴代天皇の御尊牌が祀られているわけです。 しかし、不思議なことに天智天皇以降のすべての天皇の御尊牌が祀られているわけではありません。