離宮八幡宮にある塔心礎

先日、離宮八幡宮に参拝した時、境内の隅に置かれた塔心礎を見ました。 塔心礎は、五重塔など木造塔の中央に立つ心柱を支える礎石のことです。 五重塔と言えば、東寺や醍醐寺など京都市内に4つありますが、離宮八幡宮が建つ大山崎町にも、五重塔のような木造塔があったんですね。

初夏に参拝した宝積寺で小槌の宮に祈願・2022年

5月下旬に京都府乙訓郡大山崎町の大念寺に参拝した後、さらに天王山を5分ほど登り、宝積寺(ほうしゃくじ)を訪れました。 宝積寺は、宝寺とも呼ばれています。 宝寺なんて、福を招いてくれそうな縁起の良い名ですね。 天王山を上った時は、宝積寺で、しっかりと福を授かって帰りたいです。

初夏に参拝した離宮八幡宮・2022年

5月下旬。 京都府乙訓郡大山崎町にある離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)に参拝しました。 以前に離宮八幡宮を訪れたのは10年以上前のことです。 久しぶりだと道に迷いそうになりましたが、なんとかたどり着くことができました。

六角堂のへそ石は水位計の礎石だった?

古くから京都の中心と言われているのが、中京区の六角堂境内にあるへそ石です。 このへそ石は、かつては、六角堂の南側を通る六角通の真ん中にあったのですが、明治10年(1877年)に六角堂境内に移されているので、京都の中心よりやや北にずれています。 桓武天皇が都を平安京に遷した際、道路整備中に六角堂が道路の中央にあたったため、天皇が少しずれてくれるよう祈願したところ、自ら北に移動し、その時に礎石をもとの位置に残していったと伝えられています。 それが、六角堂のへそ石だと。 この説以外にも、へそ石は、水位計の台を支えていた礎石だとする説もあります。

御霊信仰を今に伝える京都の神社

平安時代に疫病の流行や自然災害が起こると、高貴な人の怨霊の仕業だと考えられていました。 当時の人々は、疫病や自然災害から身を守るためには、恨みを持って非業の死を遂げた人々の怨霊を鎮めれば良いと考え、祭をしたり、神社に祀ったりしました。 これを御霊信仰(ごりょうしんこう)といいます。 京都で夏に行われる祇園祭は、貞観5年(863年)に神泉苑で行われた御霊会(ごりょうえ)が起源ですし、今も京都には非業の死を遂げた人々を祀っている神社が残っています。 今回は、御霊信仰を今も伝えている京都の神社を紹介します。

三福を授けてくれる三鈷の松・永観堂

お寺の境内などによく植えられている松は、多くの場合、細長い葉が2本1束になっています。 五葉松の場合は、5本の葉が1束になっていますね。 さて、京都市左京区の永観堂には、葉が3本1束になっている三鈷(さんこ)の松が植えられています。 3つの福を授けてくれると伝わっていますから、永観堂に参拝した時にはしっかりと拝んでおきたいですね。