二度の嘘が功を奏した宇治川先陣争い
平家が都を落ちた後、入京した木曽義仲は、法住寺殿を焼き打ちし、後白河法皇を五条に幽閉しました。 これによって義仲が時の権力者になったかに思えましたが、西の平家、裏切り者の叔父の源行家など、義仲にとって邪魔な存在は消えてはいませんでした。 それどころか、鎌倉の源頼朝が、弟の範頼と義経を木曽義仲討伐のために京都に向かわせていたのです。
平家が都を落ちた後、入京した木曽義仲は、法住寺殿を焼き打ちし、後白河法皇を五条に幽閉しました。 これによって義仲が時の権力者になったかに思えましたが、西の平家、裏切り者の叔父の源行家など、義仲にとって邪魔な存在は消えてはいませんでした。 それどころか、鎌倉の源頼朝が、弟の範頼と義経を木曽義仲討伐のために京都に向かわせていたのです。
蚕の社。 「かいこのやしろ」と読みます。 蚕の社は、京都市右京区に建っている神社で、京福電車の蚕ノ社駅から5分ほど歩いた場所にあります。 この神社には、変わった鳥居があるということなので、その鳥居を見に行ってきました。
京阪電車が、またまた坂本竜馬のスタンプラリーを開催。 期間は、2010年7月1日から12月23日までの約半年間です。 1回目のスタンプラリーでは、スタンプを3つ集めて見事に景品のあぶらとり紙をゲットできました。 もちろん、第2弾の今回も景品をゲットするべくスタンプラリーに挑戦してきました。
京都市右京区のJR花園駅からすぐの場所に建っている法金剛院は、夏になると庭園にハスの花が咲くことで知られています。 世界中のハスが集められていることから、法金剛院は「蓮(はす)の寺」ともいわれています。 ということで、7月中旬に法金剛院のハスを観に行ってきました。
毎年、夏になると京都府八幡市では、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の摂社高良神社(こうらじんじゃ)では、高良社祭、通称太鼓まつりが催されます。 7月17日に宵宮、18日に本宮が無事行われました。 私は本宮を観覧してきましたので、今回の記事では、その模様を紹介します。
7月16日に宵山に参加してきたので、今回はその時の模様をレポートします。 ちなみにこの記事を書いているのは17日で、山鉾巡行はクライマックスに近付いています。
京都市内を流れている川と言えば、鴨川を連想される方が多いと思います。 鴨川は、「かもがわ」と読みますが、賀茂川と書いて「かもがわ」と読むこともあります。 有名なのは、鴨川と書く方ですが、ではなぜ賀茂川とも書くことがあるのでしょうか。
京阪出町柳駅から徒歩5分ほどの場所に世界遺産に登録されている下鴨神社が建っています。 この下鴨神社の境内には、御手洗川(みたらしがわ)という不思議な川が流れています。
京都の観光名所で一番人気があるのは、東山区に建つ清水寺です。 このブログも200記事以上書いているのですが、まだ清水寺については、ほとんど書いていないということに気付きました。 今まで清水寺に拝観したことがないと言う訳ではないのですが、なぜか、このブログで紹介する機会がありませんでした。 せっかくなので、今回は清水寺について書いてみたいと思います。
寿永2年(1183年)7月に平家が都を落ち、代わりに入京したのが木曽義仲とその叔父の源行家でした。 この時、一番喜んだのはおそらく後白河法皇だったのではないでしょうか。 なぜなら、平家は都を落ちて西国に向かうことを決定した際、後白河法皇を都から連れ出そうとしていたからです。 その計画を知った法皇は、平家の探索から逃れるためにどこかへと姿をくらまし、息を殺して危険が過ぎ去るのを待っていました。 平家が都を去り難を逃れた法皇でしたが、実はこの後、更なる問題に直面することとなります。