梅雨明けに観賞した天得院のキキョウ

京都市東山区の東福寺に天得院というお寺が建っています。 天得院は、「桔梗の寺」とも呼ばれており、6月中旬から7月中旬にかけてキキョウが咲くことで知られています。 この時期は特別公開されることから、梅雨が明けた7月上旬に見頃を迎えたキキョウを観賞するため、天得院に訪れてきました。

栄春寺にもあった血天井

京都市伏見区の近鉄丹波橋駅から北東に数分歩くと栄春寺というお寺に到着します。 この辺りは、国道24号線が通っています。 そのため、京都らしい雰囲気をあまり感じることができず、観光で訪れる方も少なめです。 しかし、栄春寺は、境内に伏見城の遺構がいくつかあるので、歴史好きの方に一度は訪れてほしいお寺です。

金売り吉次の別宅跡・願王寺

京都の町を散策していると、細い路地の奥に小さなお寺や神社を発見することがあります。 一体、何のためにこんなところに建てたのだろうと思って、説明が書かれた案内板があるか見回すのですが、そのようなものは見当たらず、結局、何もわからないまま立ち去ることがほとんどです。 京都市右京区の妙心寺近くにある願王寺も、路地の奥にある小さなお寺です。 しかし、ここには由緒書があり、それを読むと金売り吉次ゆかりの地であることがわかりました。

常盤御前ゆかりの地・源光寺

平治元年(1159年)。 平清盛と源義朝が戦う平治の乱が起こりました。 平治の乱は、最終的に平清盛の勝利に終わり、源義朝は家臣の長田忠致(おさだただむね)の裏切りにより、この世を去りました。 また、平家は、義朝の長男の義平も捕え、六条河原で処刑しました。 他にも義朝には、たくさんの子がおり、平家はその子たちを捕えようと都とその周辺を探索します。 その中には、義朝と常盤御前の間に生まれた3人の男子も含まれていました。

女塚と男塚

観光や旅行で京都に訪れると、観光名所で謡曲史跡保存会の立て看板を見かけることがあります。 この看板は、謡曲の舞台となった場所に設置されており、簡単な説明が書かれています。 私もこの看板は何度も見たことがあり、京都府八幡市の松花堂庭園に訪れた時も、謡曲の女郎花(おみなえし)の解説が書かれた看板を見つけました。

伏見五福めぐりと名水

京都市伏見区の5寺社を初詣をかねて散策する伏見五福めぐりという巡礼があります。 伏見五福めぐりは、伏見五利益めぐりとも呼ばれ、昭和60年(1985年)から始まりました。 散策する5寺社は、長建寺、藤森神社、大黒寺、乃木神社、御香宮神社です。 伏見は酒蔵が多く、名水もいたる所で湧き出しており、もちろん上の5寺社の境内からも湧き出しています。 そこで、今回の記事では、伏見五福めぐりの各寺社とその名水を紹介します。

夏越の祓え2011年・石清水八幡宮

毎年、6月30日になると京都の各神社では、夏越(なごし)の祓えが行われます。 夏越の祓えとは、半年間の罪やけがれを祓うため、茅の輪をくぐったり人形流しを行ったりする行事です。 もちろん私も半年間のけがれを祓うために八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に訪れ、夏越の祓えに参加してきました。

7月2日頃に見頃を迎える両足院のハンゲショウ

夏至から数えて11日目の日を半夏生(はんげしょう)といいます。 毎年7月2日頃が半夏生になりますね。 この半夏生の前後に見頃を迎えるのがハンゲショウという植物です。 京都では、建仁寺の境内に建つ両足院(りょうそくいん)で観賞することができます。 と言うことで、ハンゲショウが見頃に近付いた6月末に両足院に訪れてきました。

思わず笑ってしまう乃木神社のご利益

京都市伏見区に乃木神社という神社が建っています。 乃木神社は、大正時代に創建された比較的新しい神社で、明治時代の軍人の乃木希典(のぎまれすけ)を祭神として祀っています。 明治時代の軍人を祀っていると聞くと、非常に固そうな雰囲気がありますが、境内に入ると、これがなかなか面白いことになっています。

都を守る4つの大将軍社

平安京は、現在の二条城付近に造営されました。 この地が選ばれたのは、北に山、東に川、西に道、南に湖がある四神相応(しじんそうおう)の地だったからです。 四神とは、四方を守る神のことで、北は玄武、東は青龍、西は白虎、南は朱雀という神がそれぞれの方角の守護神とされています。 これを平安京に当てはめると、北は船岡山、東は鴨川、西は山陰道、南は巨椋池(おぐらいけ)となります。 このように平安京は、四神に守られた縁起の良い場所だったのです。 さらに桓武天皇は、平安遷都の際、奈良春日大社から方位を司る大将軍という神を勧請(かんじょう)し、都を守る方除の神として四方に祀りました...