京都市上京区に聞くからに恐ろしくなる地名が残っています。
その地名は、閻魔前町(えんままえちょう)。
なぜ、こんな恐ろしい地名なのかというと、それはもちろん、ここに地獄の閻魔さまがいるからです。
閻魔さまなんていないとおっしゃる方もいるでしょうが、はるか昔にあの世に会いに行った人がいるのですから、いるのかもしれませんよ。
その閻魔さまに会いに行ったと伝えられているのが、小野篁(おののたかむら)です。
閻魔さまが祀られている引接寺
閻魔前町は、昔は京都の3大葬送地のひとつだった蓮台野(れんだいの)の入口にあたります。
その閻魔前町に建っているのが、千本ゑんま堂の通称で親しまれる引接寺です。
引接寺の境内に入り、左を向くと、そこに閻魔さまがどっしりと座っています。
その写真がこちら。
右手に持っている板のようなものには、「その油断火から炎へ災いへ」と書かれています。
実は、この閻魔さまは、乾隆消防分団の方が製作したもので、実際の閻魔さまではありません。
引接寺の開基は、小野篁で、冥途の閻魔さまから精霊(しょうらい)迎えの法を授かり、現在の千本通にあたる朱雀大路の北に祠を建てて、自ら彫った閻魔法王像を祀ったのが始まりとされています。
ちなみに千本通という名は、死者を弔う卒塔婆(そとば)が数えきれないほど立てられていたことから、付けられたと伝えられています。
本堂には、今も本尊として閻魔法王が祀られています。閻魔さまを本尊とするお寺は、珍しいですね。
閻魔法王像の高さは2.4メートルもあります。
こんな大きな像を小野篁が彫ったのかと思ってしまいますが、実は、現在の本尊は、長享2年(1488年)に造られたものです。なので、小野篁が彫った閻魔さまとは違います。
また、引接寺も小野篁が建てた祠を寛仁年間(1017-1021年)に定覚(じょうかく)が寺にしたものです。
閻魔前町という地名は、意味なく付けられたものではなく、本当に地獄の閻魔さまがいるから付けられたわけですね
この町で悪いことをした人は、閻魔さまに裁かれて地獄に落とされるかもしれませんよ。
また、引接寺には、4月下旬になると、普賢像桜(ふげんぞうざくら)という珍しい桜が花を咲かせます。
普賢菩薩が乗る白象の鼻のような形をしていて、花冠のまま落ちるという変わった桜です。
参拝するなら、普賢像桜の花が見れる春が良いですね。
なお、引接寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。