平安時代中期の陰陽師(おんみょうじ)と言えば、安倍晴明。
夢枕獏の小説「陰陽師」の中で、安倍晴明は、都に跋扈(ばっこ)する魔物たちを呪法によって退治するモンスターハンターのように描かれています。
そんな安倍晴明も人間なので、やがて寿命が訪れます。
彼は、寛弘2年(1005年)9月26日に85歳でこの世を去ったと伝えられています。
嵯峨野に眠る安倍晴明
その安倍晴明のお墓が京都市右京区の嵯峨野にあります。
安倍晴明を架空の人物と思っている方もいるでしょうが、実在した人物です。
晴明は、陰陽博士として朱雀天皇から一条天皇の6代にわたって天皇に仕えました。
安倍晴明のお墓の入口は、天皇陵によくある石造りの鳥居のようなものが建っています。
敷地内に入り、奥に進むと安倍晴明のお墓があります。
上の写真ではわかりにくいですが、石塔の中央には、安倍晴明のシンボルともいえる星形の五芒星が刻まれています。
真如堂に伝わる蘇生伝説
さて、安倍晴明は85歳で亡くなったわけですが、彼は、一度死んだあと蘇ったという伝説が京都市左京区の真如堂に伝えられています。
真如堂に祀られている不動明王は、安倍晴明の念持仏だとされています。
真如堂縁起によると、安倍晴明が死んだ時、不動明王が彼の呪力を惜しんで閻魔大王に生き返らせるようにお願いしたところ、閻魔大王は、衆生の民を救うことを条件に安倍晴明を蘇生させたとのこと。
現在、真如堂には、閻魔大王の前にひれ伏す安倍晴明の姿が描かれた図が保管されています。
また、真如堂には、三重塔の脇に建つ地蔵堂があり、ここに祀られているお地蔵さんも安倍晴明と関係があると伝えられています。
平安時代後期、宮中に仕えた玉藻前(たまものまえ)という女性が、鳥羽上皇の寵愛を受けていました。
しかし、玉藻前は、妖怪狐が化けた姿で、上皇は彼女を寵愛するにしたがって病気になっていきました。
玉藻前が妖怪狐であることを見抜いたのが、安倍晴明の子孫にあたる安倍泰親でした。
姿を見破られた妖怪狐は、下野国(しもつけのくに)の那須野へと飛んでいったそうです。
実は、この妖怪狐は、以前にインドや中国で皇帝の寵愛を受けて悪さをしていた九尾(きゅうび)の狐でした。
九尾の狐は、やがて那須野で退治され石になりました。
そして、石には悪霊がとりつき、近づいた者が死んでしまったため、殺生石と呼ばれるようになりました。
この殺生石で造られたのが、真如堂の地蔵堂に祀られているお地蔵さんです。
お地蔵さんは、当初、鎌倉にあったことから鎌倉地蔵と呼ばれています。
なお、殺生石については、「Pilgrim 東西南北巡礼記 【関西】」の(洛東) 鎌倉地蔵 真如堂の記事で詳しく紹介されていますので、ご覧になってください。
京都には、安倍晴明ゆかりの地がいくつもあります。
陰陽師に興味がある方は、安倍晴明の墓や真如堂にもお参りしてみてはいかがでしょうか。