7月17日に祇園祭は、前祭(さきまつり)の山鉾巡行と神幸祭が終わりました。
そして、18日からは後祭が始まっています。
後祭には、10基の山と1基の鉾が登場します。
24日の山鉾巡行に向け、20日には山鉾の曳初め(ひきぞめ)が行われました。
寺町四条の御旅所
曳初めを見に行く前に寺町四条の御旅所にお参りをしました。
17日の神幸祭の後、八坂神社の祭神が神輿に乗って、寺町四条の御旅所に遷されます。
神輿は3基並んでいます。
ここに神輿が並ぶのは、1年で7月17日から24日の1週間だけです。
24日の夕方には、神輿が御旅所を出発し八坂神社に戻ります。
なお、2022年は、御旅所から八坂神社に直帰するので、神輿は京都市街の各所を渡御しません。
北観音山の曳初め
後祭の曳初めが行われるのは、午後3時です。
場所は、四条烏丸近くの新町通沿いで、大船鉾、北観音山、南観音山がほぼ同時刻に曳初めを開始します。
最寄り駅は、地下鉄四条駅、または阪急電車の烏丸駅で、どちらの駅からも西に徒歩約3分で、四条通と新町通の交差点に到着します。
交差点から北に進むと、大きな南観音山が建っていました。
時刻は2時45分頃。
そろそろ曳初めが始まりそうです。
南観音山から、さらに北に歩くと北観音山が建っています。
北観音山も、曳初めの準備が着々と進んでいました。
北観音山の屋根の下に次々と囃子方が乗り始めました。
そして、お囃子が始まり、一気にお祭りの気分が高まります。
曳初めの準備が完了。
大勢の人が綱を持ち、合図を待ちます。
音頭取が山の前方に乗り、掛け声をかけます。
一般の方も混ざって綱を北に向かって引っ張り始めました。
車輪がゆっくりと回転。
北観音山が動き出しました。
新町通を北へ北へ。
三条通の近くまで進んだところでストップ。
今度は、南に向かって綱を引っ張る準備が始まります。
北観音山の曳初めの模様は、動画を撮影しているので、ご覧になってください。
南観音山と北観音山が南へ
北観音山の後方を見ると、南観音山が急接近していました。
南観音山も、新町通を北に向かって進んでいたので、まるで、北観音山についてきたみたいになっています。
北観音山も、南に向かって綱を引く準備を始めました。
そして、音頭取が山の南側に立ち、掛け声をかけます。
南観音山が南に向かって進み始めました。
その後方からは、北観音山もついてきます。
見物に訪れた人がとても多く、本番の山鉾巡行に負けないくらいの盛り上がりを見せています。
なお、南観音山の曳初めも動画に撮っているので、ご覧になってください。
鷹山見参
北観音山の向こうにもう1基、見たことがない山が建っていました。
あれは何だと思い、近くに寄ってみると鷹山でした。
3年前の宵山では、まだ形になっていなかった鷹山が、こんなに立派な姿になって登場するとは。
鷹山の御神体は、在原業平とされる鷹遣、樽を背負いちまきを食べる樽負と犬遣の3体で、仁和2年(886年)の光孝天皇の嵯峨芹川野行幸にお供をした様子と伝えられています。
鷹山は、応仁の乱(1467年)以前よりあり、天明の大火(1788年)の後、舁山(かきやま)に改められましたが、その10年後に曳山(ひきやま)に戻されています。
しかし、車が焼失していたため、前祭の船鉾と車を共有して後祭の巡行に参加していました。
その後、文政9年(1826年)の暴風雨で大破し、休み山となっていたのですが、196年ぶりに復活し、その姿がお披露目されました。
そんな経緯もあって、鷹山の曳初めには、大勢の観覧者が訪れ、テレビ局のカメラも何台も来ていました。
音頭取が鷹山の先頭に立ち、掛け声をかけます。
その掛け声に合わせ、綱を持った大勢の人たちが三条通を東に向かって鷹山を引っ張ります。
ゆっくり動き出した鷹山は、順調に車輪を回転させ東に向かって進んでいきました。
出来立てほやほやの鷹山は、夏の日差しに照らされ、きらきらと輝いて見えましたよ。
なお、鷹山の曳初めも動画に収めていますので、ご覧になってください。
他に大船鉾も曳初めを行っているはずですが、すでに終わっていそうです。