元日でも人が少ない京都霊山護国神社に初詣・2022年

元日に京都市東山区の安井金比羅宮に初詣に行った後、東に歩き京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)に向かいました。

京都霊山護国神社には何度も参拝していますが、元日に訪れるのは今回が初めてですね。

維新の道を歩く

市バス停「東山安井」の近くに東大路通に面した京都霊山護国神社の石造りの鳥居が立っています。

鳥居が見えると、境内はすぐそこと思ってしまいますが、ここから東に約8分歩かなければなりません。

ちなみに京阪電車の祇園四条駅からだと、京都霊山護国神社まで徒歩約15分です。

東大路通に面する鳥居

東大路通に面する鳥居

鳥居をくぐってまっすぐ東に進んでいきます。

途中、パークハイアット京都の近くにも2つ目の鳥居が立っています。

2つ目の鳥居とパークハイアット京都

2つ目の鳥居とパークハイアット京都

パークハイアット京都の南は二年坂で、この付近は昔ながらの京都らしい町並みが残っています。

元日でも人が多いですね。

二年坂付近

二年坂付近

春や秋の観光シーズンになると、周囲のお店が賑わいます。

2つ目の鳥居をくぐって少し進むと、維新の道と刻まれた石碑が現れます。

維新の道の石碑

維新の道の石碑

京都霊山護国神社は、慶応4年(1868年)5月10日の太政官布告により明治維新を前にして倒れた志士の霊を祀るため、我が国初の官祭招魂社として創建されたのが始まりです。

維新の道の石碑の説明書によると、明治9年(1876年)以降、大政奉還の記念日である10月14日に大祭が行われてきましたが、第2次世界大戦後に途絶え荒廃したままとなっていたとのこと。

そこで、明治百年にあたる昭和43年(1968年)に有志により発足された霊山顕彰会(現・財団法人)の手で付近一帯が再整備され、昭和45年10月14日を期して、この付近が維新変革の原点と現代を結ぶ精神の道として、「維新の道」と称されるようになりました。

なお、石碑の字は、霊山顕彰会初代会長の松下幸之助さんの揮毫(きごう)によるものです。

維新の道を上っていきます。

維新の道

維新の道

この辺りまで来ると、ほとんど人がいなくなります。

本殿に参拝

坂道を上りきると、京都霊山護国神社の境内があります。

境内

境内

維新の道にほとんど人がいなかったので、境内も人が少ないだろうと思っていましたが、予想どおり閑散としていました。

拝殿の前にやってくると、正月らしく金色の背景に迎春と書かれた額がかかっていましたよ。

拝殿

拝殿

それでは、拝殿の前に立ち、本殿に向かってお参りをしましょう。

京都霊山護国神社にやってきた時には、空が雲で覆われていました。

元日の京都は、寒かったですが、霊山まで来ると、さらに気温が低くなったように感じられます。

境内の焚火の前で少し温まっていきましょう。

焚火と手水舎

焚火と手水舎

火は小さかったものの、とても温かく、足から全身の冷えが薄らいでいきました。

あまりの心地良さに立ったまま寝てしまいそうになりましたよ。

京都霊山護国神社には、坂本竜馬や中岡慎太郎などのお墓があり、拝観料200円を納めると墓地に入ることができます。

私は、以前に墓地に入ったことがあるので、今回は入りませんでした。

また、毎年11月15日には龍馬祭も行われますよ。

拝殿の近くには千羽鶴があります。

千羽鶴

千羽鶴

京都霊山護国神社には、維新の志士たちだけでなく、明治以降第2次世界大戦までの京都府出身の英霊も奉祀されています。

73,011柱が祀られているということですから、維新の志士たちよりも、以後の戦争で亡くなった人々の方が圧倒的に多いことがわかります。

本殿にお参りを済ませたので、そろそろ境内から出ましょう。

維新の道を下っていくと、冬空の下、法観寺の八坂の塔が見えました。

八坂の塔と西山

八坂の塔と西山

遠く西山を眺めると、頂上付近に雪が積もっていました。

寒々とした景色でしたが、冬の京都らしさを感じられましたよ。

この後は、八坂神社に初詣に行きます。

なお、京都霊山護国神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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