7月16日。
この日は、毎年、祇園祭の前祭(さきまつり)の宵山で四条烏丸界隈が賑わいます。
昨年は新型コロナウイルスの流行から、山鉾が建てられませんでしたが、今年は2年ぶりに山鉾が建てられました。
ただ、建てられた山鉾は半分で、山鉾巡行は昨年同様中止となりました。
それでも、久しぶりに山鉾を見られるので、宵山に四条烏丸界隈を歩いてきました。
長刀鉾
山鉾が建ち並ぶ四条烏丸は、地下鉄の四条駅または阪急電車の烏丸駅で下車してすぐです。
四条烏丸の交差点から東に少し歩くと、長刀鉾が建っていました。
2年ぶりに見る長刀鉾。
四条通に大きな鉾が建っているのを見ると、祇園祭の季節だなと感じますね。
そして、京都にも本格的な夏がやって来るなとも思います。
長刀鉾は、前祭の山鉾巡行で先頭を進みます。
多くの山鉾が、くじを引いて巡行の順番を決めるのですが、長刀鉾だけは、くじ取らずで毎年先頭と決まっています。
長刀鉾を見上げると、一番上の鉾頭に大長刀がついているのが見えます。
長刀鉾と呼ばれるのは、これが理由です。
もとは、三条小鍛冶宗近の作と伝わる大長刀を鉾頭につけていましたが、金属製だと重くて危険との理由から、天保8年(1837年)に竹製の大長刀に代わっています。
函谷鉾
長刀鉾を見た後は、四条烏丸の交差点を西に渡ります。
この辺りは、宵山には特に賑わいますね。
長刀鉾と同じく、背が高いのが函谷鉾(かんこほこ)です。
函谷鉾は、斉の孟嘗君が、難所の函谷関を鶏の鳴き真似により脱出した中国の史話にちなみ名づけられました。
鉾頭は、三角形の上に三日月のようなものが乗っていますが、これは、函谷関から見たあかつきの山を表現しているそうです。
函谷鉾の胴懸も立派であります。
鶏鉾
四条烏丸から室町通を南に歩くと、こちらも大きな鶏鉾が建っています。
古代中国の尭(ぎょう)の時代は、天下がよく治まり、不満を持つものが叩く太鼓が全く鳴らず、そこに鶏が巣を作ったと言われています。
鶏鉾は、その中国史話「諫鼓(かんこ)」に基づいています。
鶏鉾も、非常に背が高いです。
真木の先の鉾頭は、三角形をしています。
この鉾頭の由来は、定かではないそうです。
ただ、中国史話「諫鼓」の象徴で、三角形の中央の円形の銅盤は民の不満を訴える太鼓の中に入っている鶏の卵だとする説が一般的です。
山鉾巡行の際は、稚児人形が乗るのですが、この日は見られませんでした。
今年の山鉾建ては、技術の伝承のために行われたもので、山鉾町では、コロナウイルスの感染防止のため、山鉾を見に来ないように訴えていました。
そのため、例年よりも人は少なく、歩道を歩きながら、山鉾を見ていく程度でしたね。