6月下旬。
京都市中京区の二条城を拝観しました。
二条城は、慶長8年(1603年)に徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として築城したものです。
慶応3年(1867年)に15代将軍徳川慶喜が大政奉還を宣言した場でもあり、江戸幕府の始まりから終わりまでを見届けたお城でもあります。
大手門から二の丸御殿
二条城の最寄り駅は、地下鉄の二条城前駅です。
駅を出ると、正面に大きな石垣が見えるので、二条城に行くのに迷うことはないでしょう。
二条城の入り口は、東側にある東大手門です。
東大手門の近くに受付があるので、入城券を620円で購入して中に入ります。
二の丸御殿の内部も拝観する場合は、1,030円です。
この日は、あいにくの曇り空。
小雨も時折降り、二条城の拝観に適した天気とは言えないですね。
東大手門は、二条城の正門です。
1階を門、2階を櫓(やぐら)とする立派な櫓門ですが、寛永3年(1626年)に一重の門に建替えられたことがあります。
後水尾天皇の行幸に際し、2階から天皇を見下ろすのは失礼だとの理由から、一重の門に変更したんですね。
その後、寛文2年(1662年)に改修され、現在の姿となっています。
正面の出格子窓には、門に近づいた敵を真上から攻撃するための石落としも備えられています。
門の所々に見られる金色の装飾は、天皇を迎える正門であることが理由と考えられています。
東大手門をくぐり城内へ。
右手には、番所の建物があります。
番所は、門番人が詰めていた建物です。
西門には3棟、北大手門には2棟あるそうです。
昭和14年(1939年)に京都市に下賜されて以降、翌年より一般観覧が開始され、その受取場所であったり、管理施設や模写室などにも使われましたが、昭和40年代に以前の姿に戻っています。
順路に従って、南東へと進みます。
こちらは、二の丸の入り口になっている唐門です。
唐門にも、金色の装飾が施されています。
仙人の装飾もあるので、探してみるのも良いでしょう。
唐門の先に建つのは、二の丸御殿です。
二の丸御殿の中に入る場合は、新型コロナウイルスの感染防止のため、マスクを着用しなければなりません。
当分は、二条城を訪れる際はマスクを持参する必要があります。
私は、過去に何度か二の丸御殿の内部を拝観しているので、今回は入りません。
中では、大政奉還の場面が再現されていますよ。
以前は、二の丸御殿に入るのに追加の拝観料は必要なかったんですけどね。
二の丸御殿の近くには、釣鐘が2つ置かれています。
この釣鐘は、二条城の北にあった京都所司代屋敷のものです。
火事などの緊急事態を周辺に知らせるために使われました。
慶応3年に京都所司代が廃止された後、二条城に移されたと考えられています。
二の丸庭園
二の丸御殿の東に進むと、松と芝生がきれいな二の丸庭園が広がっています。
二の丸庭園は、慶長8年の築城時に作られ、寛永3年に作事奉行の小堀遠州が、後水尾天皇の行幸のために改修しました。
二の丸庭園には、大きな池が配されています。
池の中や周囲には、巨岩が置かれ、お城の庭園らしく豪快であります。
二の丸庭園は、二の丸御殿の大広間や黒書院から鑑賞できるように工夫されています。
上の写真の景色は、天龍寺の曹源池庭園と似ていますね。
後水尾天皇の行幸の際には、園池の南側に行幸御殿が建てられました。
二の丸庭園は、この行幸御殿からも眺められるようになっていたので、大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から鑑賞できるように設計されているそうです。
行幸の後、御殿は移築され、将軍家の利用も減っていったことから二の丸御殿は荒廃していきましたが、明治以降にソテツを含む植栽の整理・補植が行われています。
空は曇っていましたが、二の丸庭園はいつもと変わらず、豪快な姿を見せてくれました。
この後は、本丸庭園に向かいます。