伏見稲荷大社の石段脇に並ぶ末社

京都市伏見区の伏見稲荷大社には、本殿の他にたくさんの社殿が建っています。

伏見稲荷大社と言えば、千本鳥居が有名で、海外からお越しの旅行者の方に非常に人気がありますが、境内に多く建つ摂社や末社も興味深いので、伏見稲荷大社に参拝した時は見ておきたいですね。

今回の記事では、権殿(ごんでん)の後ろの石段脇に並ぶ4つの末社を紹介します。

両宮社

伏見稲荷大社は、JR稲荷駅を出た正面が参道の入り口になっています。

京阪電車の場合は、伏見稲荷駅から東に徒歩約5分です。

楼門をくぐり、外拝殿の後ろの石段を上ると本殿があります。

その本殿の後ろに権殿があり、近くの石段を上った左側に末社が4つ並んでいます。

石段脇の末社

石段脇の末社

石段から右に行くと千本鳥居があるためか、この4つの末社にお参りをする人は少な目です。

末社の中で一番右側に建っているのは、両宮社(りょうぐうしゃ)です。

両宮社

両宮社

祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、豊受皇大神(とようけすめおおかみ)です。

二間社切妻見世棚造、檜皮葺の社殿は小さな伊勢神宮のようであります。

近くの説明書によれば、両宮社の社殿は、天正17年(1589年)の社頭図に「伊勢雨宮南向再興」とあり、神明造の社が描かれていたそうです。

現在の社殿は、元禄7年(1694年)に再興されたものとのこと。

五社相殿

両宮社の左隣に建つのは、五社相殿(ごしゃあいどの)です。

五社相殿

五社相殿

その名のとおり、以下の5つの社が一体になっています。

  1. 八幡宮社:応神天皇
  2. 日吉社:大山咋神(おおやまくいのかみ)
  3. 若王子社(にゃくおうじしゃ):若王子大神
  4. 猛尾社:須佐之男命(すさのおのみこと)
  5. 蛭子社:事代主神(ことしろぬしのかみ)

説明書によれば、古くは長禄3年(1459年)の記録に現れる若王子社を始め、境内に祀られていた各社を元禄7年に現在地に遷し、五社相殿に奉祀したものだそうです。

構造は、五間社流見世棚造、檜皮葺。

荷田社

五社相殿の左隣に建つのは、荷田社(かだしゃ)です。

荷田社

荷田社

祭神は、荷田氏の祖神です。

ちなみに伏見稲荷大社に隣接する東丸神社(あずままろじんじゃ)には、荷田春満(かだのあずままろ)が祀られていますね。

説明書によると、この社殿は、安元2年(1176年)、荷田氏の祖・荷大夫没後、「稲荷山の命婦社の南に社を造り霊魂を祀る」とあり、明応8年(1499年)の「明応遷宮記録」には、「命婦ノ南ニハ荷大夫明神在之云々」と記されているそうです。

現在の社殿は、元禄7年に再興されたものです。

長者社

一番左側に建つのは、長者社です。

長者社

長者社

祀られているのは、秦氏の祖神です。

秦氏は、伏見稲荷大社の旧社家で、その創建は秦伊呂具(はたのいろぐ)が餅を的に弓矢で遊んでいたら、餅が白鳥になって稲荷山の峰に止まり、そこに稲が生じたことが始まりと伝えられています。

説明書によれば、長者社の社殿は、明応遷宮記録に境内社としてすでに現れており、天正(1573-1592年)の社頭図に本殿の北方に「長者社 西向」と描かれていたそうです。

社殿の化粧部材は、ほとんどが江戸時代初期の材が残されており、元禄7年以前からあった建物を現在地に遷したものと考えられています。

構造は、一間社流見世棚造、檜皮葺。

4社のうち、長者社の社殿が最も古いようですね。

以上が、石段脇に建つ4つの末社です。

たくさんの神さまが祀られていますから、伏見稲荷大社の本殿に参拝した後にこちらでもお参りをしておけば、多くのご利益をまとめて授かれそうですね。

なお、伏見稲荷大社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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