京都市上京区の京都御苑の中に宗像神社という神社があります。
その宗像神社の境内には、いくつか社が建っており、その中のひとつに花山稲荷大明神(かざんいなりだいみょうじん)が祀られています。
この花山稲荷大明神は、太政大臣をつとめることもあった藤原北家花山院家の邸宅にもともと祀られていました。
花山法皇の御所
宗像神社の最寄り駅は、地下鉄丸太町駅です。
駅を出て、北東にある京都御苑の中に入り、5分ほど歩くと宗像神社に到着します。
宗像神社の鳥居をくぐると、参道脇に「花山院邸跡」と刻まれた石碑が立っています。
この辺りは、平安時代に花山天皇が退位後の御所としていた地です。
以前に紹介した書籍の京都知られざる歴史探訪の上巻によると、花山天皇は奇矯な振る舞いが多く、貴族たちからひんしゅくを買っていたそうです。
花山天皇は、女御の藤原忯子(よしこ)を寵愛していましたが、彼女が亡くなると右大臣の藤原兼家が天皇をだまし出家に追い込みます。
そして、兼家はすぐに自分の外孫を一条天皇として即位させ、自身は摂政となって権勢を振るうようになりました。
退位後、法皇となった花山天皇は、宗教や芸術に没頭します。
現在も続く西国三十三ヶ所観音霊場巡りは、花山法皇が創始者と伝わっていますから、文化面に才能を持っていたのでしょうね。
花山稲荷大明神
宗像神社の参道の東側に建つ朱色の鳥居の奥に祀られているのが、花山稲荷大明神です。
宗像神社の説明書によると、この地は最初、清和天皇の皇子の貞保親王邸でしたが、関白藤原忠平邸となり、その後、孫の村上天皇女御安子邸となりました。
また、村上天皇の皇子であった憲平親王(冷泉天皇)の立太子礼も、この地で行われています。
以後、花山法皇御所、三条天皇皇后娍子邸、そして、花山院家忠の父の藤原師実へと引き継がれました。
花山稲荷大明神は、関白藤原忠平の時に衣食住の守護神として伏見稲荷を勧請(かんじょう)したとされています。
この花山大明神は、江戸時代の宝永の大火(1708年)や天明の大火(1788年)でも、被災を免れたということですから、火災予防のご利益がありそうですね。
現在も、花山さんと呼ばれ、火防せの神さまとして篤い信仰を集めているのだとか。
また、日本三大稲荷のひとつとされる佐賀県の祐徳稲荷神社は、花山院家の姫が鍋島家へ嫁いだ際に祀った分霊であり、「祐徳」はその姫の謚(おくりな)だそうです。
花山稲荷大明神は、京都を中心に庶民から公家・宮中さらには徳川将軍家をはじめ諸大名の江戸屋敷にも分霊や御札が祀られていました。
今は、宗像神社に小さな社殿が残るだけですが、信仰は全国に広がり、今もなお各地の分霊が祀られている神社に多くの人が参拝しています。
商売繁栄、産業興隆、書道・技芸上達の信仰も篤いそうですよ。
歴史的には、南北朝時代に後醍醐天皇が、花山院に幽閉されたことでも有名ですね。
なお、宗像神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。